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2011-07-28 (Thu) [長年日記]

_ 思い出

なにせ思い入れがあり過ぎる.個人的に心の中にしまっておきたい思い出もあるのだが,それを差し引いてもまだ思い出し足りないことがあるくらいだ.20代以降の自分の人生のほとんどに影響されているから.

身内が亡くなっても全然死の実感が湧かないほど感性が鈍いので,まだどこかで生きているのではないかと思えてくる.

普段の自分の行いが悪かったからこんな結果になったのか.これから真面目に働くから時間は戻らないのか.そんな子供じみたことまで考えてしまう.

最初に曲を聴いたのは,Child's Viewのsableのリミックスだった.面白いリミックスをやっているとは思ったが,この時はまだ名前をはっきり記憶していなかった.確か1998年だったはず.

その後,初めてCDを手に取ったのは,去年閉店した渋谷HMV.セカンドのOpa*qだった.1999年の年明けから少し過ぎた頃だった.そのChild's Viewこと竹村延和氏の帯コメントと,ジャケットの雰囲気でなんとなく買った記憶がある.じわじわと気に入ったような感じだった.音楽がわかる友人に引くほど勧めまくったのも記憶している.

そこから音源は貪欲に集めまくった.joy for joy epだけ手に入れられていないのが惜しい.いまでこそメディアが充実したしlust以降有名になったので情報の仕入れには苦労しなくなったが,red curb〜lustの頃は情報を手に入れるにも2chのスレッドを追いかけても漏れが出るほど苦労した.自分で作ったシステムでrei harakami onlineというblogを立ち上げて 情報をまとめてくださった方がいて,本人がblogで情報発信する頃までは大変重宝した.ちなみにrei harakami onlineは頭文字をとるとrho.unrestの曲名と掛けているのだろう.自前システムでテーマを決めて情報発信するというスタイルを貫いたこの方は,私が内心尊敬するブロガーの1人でもある.

最初にライヴを見たのは,2000年の暮れに新宿時代のリキッドルームだった.この時はその後名物になるMCは一切していなかったが,その代わり登場の際に「おもいッきりテレビ」の「きょうは何の日」のジングルを唐突にかけていた.作風からやたらストイックなイメージを持っている人が多いと思うが,昔からふざけたい人だったのだ.このライヴで初めて聴いた,フロアに似つかわしくない,重く空間に響く低音が強く印象に残る曲が忘れられなかった.後にred curbに収録されるcapeだった.red curbは院試〜大学院の一番辛い時期に何度も何度も聴いた.wrestはとにかく何より好き過ぎる曲だった.ライヴでは滅多に披露されなかったが,「みんな知らないような曲をやったのですが」とか「今日は珍しい曲を……」とかMCでいつももったいぶっていた.あれほどの名曲はないのに.堂々とやればよかったのに,といつも思っていた.ただでさえ素直な四つ打ちの曲がred curbの中にはなく,中でも特にリズムが異様に変則的でよくこんな曲をフロアでかけるな,というような曲ではあるのだが,それゆえの強い魅力のある曲でもある.

その後,お金がなかった一時期を除けば,東京近郊のライヴにはほとんど出向いていた.逗子の音霊で2度目のライヴ(クラムボンとの対バン)だった時はチケットが買えなかったが外から聴いていた.1度行った際に音が外にダダ漏れなのを知っていた.1度目に行った頃はステージ上から客を映してblogに載せる,といったこともしていたのであった.海を見ながら聴いていた様子を知らない人に後ろから撮られてその人のblogに晒されたていた.クラムボン目当てで来ていた客と一緒にクラムボン聴きつつ海辺でビーチボールで遊んでいて,海にiPod miniを落としてなくすところだった.

一時期だけライヴでいろいろあって聴くのがつらい時期があった.結局3ヶ月程度でまた聴き出したが,その間音楽自体聴かなかったし,red curbが出て以降数年はほかの音楽を聴いた記憶がほとんどない.ベタな話をすれば,こんなに飽きっぽい,続かない,根性のない私が10年以上もファンを続けているアーティストはもちろんほかにいない.ブランクを乗り越えてまで聴き続けているのは,それだけ心の支えだったのだと思う.

あのMCを始めたのはいつだったか,はっきりとした記憶はない.最初は単にたどたどしくしゃべるだけだったと思う.しゃべりがこなれてきたのは,共演者と一緒にステージに上がるようになってからだと思う.

以前はステージ上で眼鏡をかけることはなかったが,ここ1年くらいはかけるようになっていた.眼鏡を外したままMC用のマイクスタンドを遠ざけてVS-2000をいじった後でまたしゃべろうとしてマイクを取ろうとしてあたふたする,という一連の動きもいまとなっては懐かしく思い出される.

映画「アナライフ」の音楽を担当――といってもオープニングテーマ以外は監督の意向で既発表曲がそのまま使われていたのだが――して映画公開の際に監督とともにトークショーを開いたこともあった.ちょうどlustのリリース直前の頃で,アルバムの宣伝をしたいのだがうっかり「ラスト」と口頭だけで言ってしまうと「え,これがラスト(last)アルバム?」と誤解されるのを避けてかアルバムタイトルは口にしなかったのであった.結局,オリジナルアルバムとしては本当にlastになってしまったのだが.

出張で遠くに行くたび,この風景には絶対に合うはず,と思うと必ずiPodで再生していた.ライヴでrobeと一緒に流れたdumb typeの映像で,壮大な橋と水辺の様子が気になって調べて大阪の新木津川大橋とわかった時は,わざわざ住之江の方まで出向いて橋のたもとに佇んでiPodでrobeを再生したりもした.

ライヴに行くたびに「御多織る」「御手富貴」があれば買っていた.同じデザインだろうが気にせず,ライヴの記念として買っていた.「あさげ」「ゆうげ」の中身に出てくる別デザインのものは手に入れられなかったが.何本も同じデザインのものは持っているが,もったいなくて中身が開けられない.いまとなってはなおのこと開けられない.

今日の東京は雨が降っている.うっかり涙雨と言いそうなものだが,こういう形の別れに涙は似合わない.雨で思い出すのは,2009年の川口のトークライヴだった.あの日はひどい雷雨で,電車が遅れに遅れてスタートが1時間押しだった.当日チケットの抽選に外れたが,早めに行って席があれば入れるかも,とのことだったので早めに行って席を確保したのであった.ここで初めて本人と話すことができた.「使い倒して初めて見えてくるものがある」という話だった.私の本業の研究はHCIなのだが,どうも研究のトレンドが「使い倒さずにみんなが使いこなせるものを作る」 という方向に向かいがちで,それがことごとく失敗している様子を見たし,使い倒して初めて見えるもの,そして直接触れないものを操作することに強い興味が持てたきっかけになったと思う.みんながすぐ使いこなす物を作るより,人間が試行錯誤の末手に入れるプロセスを知る方が面白い.今後自分が研究で生き残るためのモチベーションを手に入れられたと思っている.音楽とのつながりが薄い立場ではあるのだが,この魂は受け継いでいきたいと思う.

ストイックなイメージを持つ人が引いてしまう,ゆるい雰囲気のMC,本番中なのに失敗してやり直すギター演奏も忘れられない.50,60を過ぎても,不器用な挑戦を続けるような人だと思えてならない.ミュージシャンとしても,ギタリストとしても,ヴォーカリストとしても,即興漫談師としてもこれからの人というイメージである.こう書くとふざけているように思うが,いつまでも崇高なイメージを引きずるとその後の活動がそれに縛られてしまいそうでいけないのだ.ビートたけしも坂本龍一も,いい歳していてもバカなことができるからこそ真面目な仕事に重みが出てくるのだと思っている.

音楽はいつまでも自分の手元で生き続ける.音楽はいつまでも人生に思い出と発想を与えてくれる.rei harakami.何もかも,これからです.


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