別件の仕事があってそれどころではないのだが,半蔵門線の車内で『温かいコミュニケーション:「つながり感通信」の誕生』を一気に読破する.100ページ程度の短い本だが,実に参考になる.詳細な感想と考察はこれまた後ほど.こうして文献が「読込待ちスタック」から「レビュー書き待ちスタック」に移動するわけだ.仕事は減らないどころか増え続ける.
再び後藤さんよりコメント.ありがとうございます.
私の場合は,少なくともアカデミックな物書きをしている時は,(最近はもっぱらOOoを使うが)LaTeXでプレゼン用のスライドを作る場合であっても構造とレイアウトは意識して分離できているように思います.フォーマットがそれだけはっきりしているので.それ以外のコンテクストで物書きをするとなるとこれらの分離は難しいかも知れませんが,いずれにせよ,できるだけ構造とレイアウトの分離は意識した方が後々困らなくて済むでしょう.
以下年寄りの思い出話になるかも知れないが,ご容赦を.私が学部の頃の一般教育の実習で教えていた頃(1999--2001頃)は,最初はいろいろ余計なことも教えていたが,ひとまずHTML 4.01 Strictに忠実に,かつ終了タグの省略はしないというポリシーのもとで素のHTMLを書き,レイアウトはCSSに任せるのがベターだと悟った.テンプレートを用意してある程度文書を書いた上で,CSSにたとえば body { background-color: #ccccff; }と書くだけでも学生は結構面白がっていた.まあ一歩大学に足を踏み入れると時が淀んだ感覚に陥るあの大学だからこその現象かも知れないし,無礼な学生が増えつつある現状ではもうこうした反応は得られないかも知れないが.いまやblogツールを使うのが前提の実習をやる大学もあるが,個人的には大学での教育の現場でやる以上は一度素のHTML書きを通して,構造とレイアウトの記述の分離の難しさを体験した方がよいと考えている.
ほとんど思いつきで何もこの先どう発展させればよいかなど考えていないのだが,HTMLでも『Code Reading』が必要な気がするのだがどうだろうか.
「不気味の谷」の原著を読まないことには詳細な議論はしにくいのだが,ロボットの動作と見かけの問題にある「不気味の谷」のグラフをみると,「人工物の人らしさ」と「人間の人らしさ」はそもそも同じ軸に乗るものなのか,比較可能なものなのかというところから疑問なのである.比較不可能だとしたら,という点まで考えると以前私が書いた説で何とかなりそうに思える.もちろん,この説はもっと洗練されるべきなのだが.たとえばもし隣人のカラダの筋肉がどれをとっても機械だったら,というSF的な状況についてはこの説だけではカバーできない.まあ普通ありえないだろう,という信念のもとで考えており,その信念の起源はどこなのか,というところまで言及が必要なのである.ひとまずそういった点からも疑問であるし,この研究の論文(入手先)をみると心理実験の手法にも,学部レベルの心理学の心得のある人であれば十分指摘できるであろう手続き的な問題が散見される.
前ボスの証言もあるのだが,どうもこの手の研究では融通無碍なt検定の適用がみられ,非常に頭が痛い.別のロボットの研究なのだが,分散の差の検定にまでt検定を使っていたのを見たことがある.統計的検定はちゃんと使いこなせれば実験結果に説得力をもたせることができるが,逆に生半可な知識で利用しようとすると逆に実験結果の信頼度に疑問を抱かざるを得なくなるので,くれぐれも検定を行うなら真面目に勉強して欲しいと思う.自戒の意味も込めて,だが.
HIS2004のため京都に滞在中.安宿のためネットはPHSのみ.京都の宿は早めに押さえないと痛い目に遭うことを改めて痛感.来年も夏に来る予定なので,今度は対策せねば.
午後から風邪がひどくなってくる.夜まで出るつもりだったが,引き上げる.残り2日間持つだろうか.
いろいろ貴重な話がうかがえた.改めて関係の皆様に感謝です.
午後の質的心理学の講習に出る.要するに,機械学習でいえば個々のインスタンスを個々の具体的な研究事例とみた場合,ルールベースの見方からインスタンスベースの見方に変わろう,ということなのだろうと理解してみたが.そう考えるとやはり問題はインスタンスの数,すなわち研究事例の数というより多様性に依存しそうである.そういった点まで考えるとやはり研究者コミュニティ全体の研究方針としても,ある程度研究者の役割分担を明確化した方がうまくいくのかも知れない,というある意味不届きなことを思いついてしまった.まあ完全にLaissez-Faireでよいとも思わないが,安易な組織への介入がいい方向に向かうとも思えない.実情はそこまで単純ではないはずだが,世の中の流れがそれを許すかどうかは何ともいえない.
しばらくやらねばならない仕事が多い.やれるものからやらねば.
HIS2004関係でいろいろまとめたい話があるが一両日中に.このまとめについて作業の優先順位を上げたいので急ぎの仕事で待っている皆様,本当に申し訳ありません.
某誌に投稿していた論文の査読結果が戻ってきた.基本的に擬人化メディア研究の意義を問うタイプの質問がほとんどだったのでいつもの回答パターンと本文修正で対処するつもりだが,どうもデータのとり方の質問で納得のいかないものがひとつあったので関連のサーベイのため夕方から大岡山図書館へ.学部時代の心理の授業の資料まで引っ繰り返してもわからなさそうだ.さてこれをどうしのぐか.
4つくらいの仕事がキューに入りっぱなしで一向に片付かない.何とかせねば.
いまから夕食.食後に気力が残っていたら何か書くかも知れません.
どうやら協同の研究まで遡らずとも,「問題解決を行う人」と「問題をメタな立場でモニタする人」という役割分担の万能さはあらゆる場面で見られそうである.例を挙げてみる.
ペアプログラミング.1人がプログラムを書き,もう1人はメタな立場で眺める.役割の交代も行う.
blog書きとニュースサイト運営者.これは無理がある.少なくとも日本のblog書きが問題解決を行っているのかと考えると疑問(参考:切込隊長氏).ひとまずこれは理想として.あまりblog論的なことは書きたくないのだが.
そういえば学部の英語のライティングの授業でも学生同士で自分の書いたアウトラインやらペーパーやらを見せ合ってチェックを入れるようなことをやっていた.これもこの手の役割分担と考えられる.どうも欧米ではこの手の広義のpeer reviewは小学校あたりから積極的に取り入れられている,という話を以前聞いたことがある.
ほかに思いついたらまたどこかに書くつもりだが,いずれにせよこの手の役割分担のデザインは何かとつぶしがききそうである.CSCW/L関連の研究でこの手の知見は大量にありそうだが,どうも思ったほど多くは見当たらない気がする.認知科学寄りの研究でもこうした役割分担の見方は90年代に入ってから注目され始めているように思える.
[2004-10-16T10:13:01+09:00 追記] コメントありがとうございます.とんでもない間違いを犯しておりました.まったくもっておっしゃる通りです.ファジィ論理はZadehの功績でありました.吊ってきます.以下修正.
以前ファジィ論理の研究者の方から「そもそも『ファジィ理論』なるものは存在しない,ファジィ集合やファジィ論理ならばあるのだが」という話をうかがったことがある.どうやら,そう考えるともちろんすべてではないだろうがいわゆる「(.*)理論」((.*)に入るのは大概人名,ファジィは例外)と名のついたものは一連の理論を十把一絡げに扱って「いやあ,(.*)って凄いね」と一言言及してその先の理解を放棄している可能性があるのかも知れない.最近の話題でいえば,いわゆる「ベイズ理論」など最たるものだろう.どう考えても「ベイズ理論」という語で言及しているのはベイズ則であったりベイジアンネットワークなどのベイズ則に基づいた統計学習であったりするだけで,「ベイズ理論」そのものは存在するように思えないのだが,私の思い違いか勉強不足だろうか.
[2004-10-16T10:13:01+09:00 追記] ベイズについて追記.たとえばCNETの日本語記事には頻繁に「ベイズ理論」という語が登場するが,原文タイトルには相当する語は含まれておらず日本語に翻訳される際に勝手に付け足されているケースばかりである.本文でも「ベイズ理論」に相当する語は"Bayesian theory"のみに限らないし,またリンク先の原文にあるBayesian theoryというのはベイズの定理(の噛み砕いた説明)を指しているに過ぎず,これを「ベイズ理論」と訳されるのはやはり抵抗があるだろう.私がここで指摘したかったのは,この「ベイズ理論」という語がここ最近コンピュータサイエンスにおいて「ベイズの定理をどこかで応用した機械学習アルゴリズム」を十把一絡げに指して「いやあ,ベイズって凄いね」と根拠もなく思わせるために濫用され過ぎているのでは,ということである.誤解を避けるために言うが,私はベイズ則に基づく学習そのものに懐疑的というわけではない.むしろインスタンスが大量にあるなどの条件さえ付けばかなり使える学習手法であることは認識している.逆に,たとえばインスタンスの数が揃わない状況で使ってもあまり役に立たないという点に注意して欲しいし,そこを見落として「やっぱベイズ理論って役に立たないじゃん」と言われてしまうことの方を危惧しているのである.コメントでご指摘のあったベイズ統計学についてはおそらく素直に「ベイズ統計学」と呼ばれるでしょう.ベイズ統計学のコンテクストで「ベイズ理論」という語は聞いたことがないので.「ガロア理論」は確かにそうかも知れません.理論の中身やらガロアの生涯やら歴史的背景やらを考慮した上でないと「ガロア理論」という用語の妥当性は何ともいえないところですが…….
もし最初から「ロボットと遊んでね」と外的にロボットと遊ぶよう後押しするような指示があったとしたら,これはロボットと遊ぶ人間側からしたら自発的にロボットと遊ぼうとしたのかどうかについてやや疑問が残る.人間とロボットとの社会的関係の自然な発生について,どういった視点で探ればよいだろうか.
どういったアピアランスが人を惹きつけるか,というアプローチもひとつあるだろう.ただ実証的な方法をとろうとすると難しい.実証的なアプローチであれば,インスタレーションのようにロボットをある程度オープンな場に置いて,そこからどのようにその場の人間との関係ができるのかを模索する方法が思いつく.ただ,オープンな場でロボットとインタラクトしたい人間が現れるのかと考えるとこれまた疑問で,やはりある程度の環境的な制約はどうしても必要になる.たとえばミュージアムのような場所に置いて,あくまでインスタレーションとして訪問者に強制しない形でロボットを「人間とインタラクトできる存在」として置く形にするくらいしなければ,ロボットは単なるモノとしてしか人間には認識されないのが現状だろう.やはりボトムアップな人間とロボットとの社会的関係の構築プロセスを探るのはなかなか難しい.
最近脳関係の文献を読む機会が増えてきたが,どうも体系的に理解できたような気がしない.もちろん単なるモチベーションの不足というのもあるのだが,やはり体系的に理解するための方法が門外漢の私の場合は模索しにくいところにあるようにも思える.そこでひとつの方法は「脳の白地図」のようなものを用意して,そこにどんどん知識を直接書き込むなり付箋を貼るなりそれでも足りなければ別の紙に書き出して糊付けして挟み込むなりするようなことができればと思うわけだ.私の研究室の場合はそこで脳のオントロジーを作れば,という話に持って行こうとするわけだがいまのところは可搬性や使い勝手のよさを優先したいのでアナログな方法論で模索したい.単に脳の白地図的なものは存在しないであろうから図版の豊富なテキストを利用することになるだろうが,こんな感じでいいのだろうか.
神保町明倫館で研究関係で欲しかった本2冊を購入.しめて3800円.この程度の出費でも最近はかなり痛い.
仕事が滞りまくっておりまして関係各位の皆様にはご迷惑をおかけしております.
The Nonverbal Dictionary.名前の通りノンバーバルコミュニケーションに関する用語がまとめられている.必要な箇所の読み込みと文献のチェックをせねば.
パーソナルスペース関連の文献を物色中.だが,自分のやりたいことに直接役に立ちそうな知見はそれほど見当たらない.そもそもパーソナルスペースの研究自体が自分の研究に生かされるかどうかもわからない状況ではあるのだが.
その前に.Amazon.co.jpでの『エモーショナル・デザイン:微笑を誘うモノたちのために』の取り扱いはまだか(2004-10-17T17:55:45+09:00現在……ようやく取扱開始.遅過ぎ.).別にAmazon.co.jpから買うつもりというわけではなく,本棚に登録できないのが困るだけの話だが.なお原書は登録済.
それにしてもインタフェースの入門書はどれをとってもなぜある種の公共広告機構的というか,磯野波平さん的というか,そのような説教臭さが抜けないのだろうか.あれだけ具体例が豊富なDon Normanの本でさえそのように思えてしまう.やはり私が勉強嫌いだからか? ただインタフェースについてはその知識的なバックグラウンドがまだ混沌としている状況に思えるので,解決策はそう簡単に見えてこないだろう.
話は少しずれるのだが,『人が学ぶということ:認知学習論からの視点』(サポートページ)の第8章を読んで,かつて私の学部時代の恩師が「なぜプログラミングの入門書や講義は無味乾燥な文法についていちいち解説してゆくだけになるのか」という不満を常々口にされていたことを思い出した.院のJavaプログラミングの講義でも同じような意見を出したのだが,今度は学生の側にプログラムを書くためのコンピテンスが十分あるわけではないという学生側の声が多かったため,課題中心の方法ではうまくいかないので文法中心にせざるを得ないのだ,という回答が返ってきた.その後今年からはプログラムの書ける学生と書けない学生とでクラスを分けるなどの策をとるなどしているそうだが,それならむしろ書ける学生と書けない学生とで組んでそこそこ難しい課題をペアプログラミングで書いてみる,などの手を使った方がよさそうな気もする.特に時間的な制約などがきびしく難しいかも知れないが.
プログラミングの入門書については,Cならば『C言語体当たり学習徹底入門』という良書があるのでまずはこれを取っ掛かりにすればよいと思う.Ruby使いとしてはRubyでこういった本がまだないのが不満でもあるわけだが,Rubyの場合は極端なバータリー主義者が本を書くととんでもないことになってしまいそうなので難しいところである.ちなみに私の本棚にはプログラミング関係の本がほとんど登録されていないが,ほかの人が大量に登録しているであろうということと,もとからリファレンス的な性格が強い本はともかくとしてこのようなプログラミングの本に対する不満が強いということが主な原因である.
そういえば私の学部時代の恩師のacademic advisee*1の1人が『人が学ぶということ』を読んで,先生にこの本を薦めたくなるほど絶賛していたそうな.確かにそういうアクションをとりたくなるほど内容は充実していると個人的には思う.第8章あたりはやや楽観的な見方が強い気もするが,それは私が亀田先生の本や論文の影響を強く受けているからだろうし,ほかにも議論が続いている微妙な問題をいくつかとりあげられているが私の理解の範囲では特に大きな問題があるわけではない.
*1 母校の用語.学生にはそれぞれacademic advisorとして教員が1人割り当てられており,thesis advisor,すなわち卒論の指導教員による卒論の指導が始まるまではこのacademic advisorのところに各学期が始まる前日に前学期の成績の受け取り(教員と成績によっては加えてお説教も)と今学期の履修科目の承認を受けることになる.教員によっては余計な履修科目をとらせない場合がある.私のいた頃は確か各学期開始から2週間以内であれば履修科目の変更が可能になっていたが,不可抗力によるものを除きその後登録した科目の履修取消は認められないという事情も理由としてあるのだが.また,その他細かい相談を受ける先生もいる.ちなみに日本の他大学出身の人にこの制度の話をすると大概厳しい学校だという意見が返ってくる.
たとえばインタフェース研究に心理学のエキスパートを活用して欲しい,という主張は三浦先生などによってなされていると思われるが,問題はインタフェース研究側の他分野の研究者が「社会科学の各手法はインタフェースの評価のために重要」というレベルでしか認識していない点にあるだろう.「私たちはこういうものを作りました.ひとまず心理実験(らしきこと)をしてデータをとりました.でも統計のことはいまひとつ自信がないので分析をお願いします.」という段階で話を持ってこられても意味のある結果を引っ張り出すのは非常に困難である.ものづくりの最初の段階から,どういったバックグラウンドのもとにどういったものを作るのか,評価する場合はどのような手法をとるか,心理実験だったら実験計画はどうするのか,といった一連の手続きすべてに関わる必要がある.『温かいコミュニケーション:つながり感通信の誕生』でとりあげられているエピソードはこのプロセスを実践しており,実に興味深い.著者のひとりである伊東先生からも,インタフェースの研究は心理学の立場からすると理論的なバックグラウンドが脆弱なので,まず理論を固めるところから始める必要があるというお話を以前うかがったことがある.インタフェースについては社会科学者(心理学者,社会学者,人類学者……)とエンジニアとのコラボレーションが結構あると思うのだが,異分野の協同はそれだけ難しい問題を含むことを,コラボレーションに携わる人間すべてがよく理解して欲しいことだと個人的には考えている.
関連して説得アーキテクチャに関する議論が盛り上がっているが,これについては明日以降.だいたい何が問題点かは把握したつもりだが,元記事から丹念に追いかけたいので.そんな暇があるかどうかすら怪しいが.
これは結構難しい.ひとまず考えてみたインタフェース:
基本はblog.各参加者がblogを持つ.各参加者blogの編集権限は各参加者自身のみ.Wikiのようにほかの人もいじれる形はとらない.
ほかの議論の参加者のblogは,すぐ参照できるように同じ画面上でたとえばExposé式に表示・操作できるようにする.
全参加者blogのエントリを対象とした検索窓は常時表示.キーワードははてなグループのようにいちいち定義を書いていくのは何かと面倒かも知れないのでRandomNote(配布元は現在お亡くなり中)方式でキーワードにリンクを付けて,キーワードをクリックしたらほかの議論の参加者のエントリも含めて検索・表示する形式をとる.検索履歴の表示機能もRandomNote同様引き継いだ方がよいかも知れない.
TrackBack的な仕組みは欲しいが何かとややこしいのが難点.各エントリのコメント欄の代わりに自分のblogへのエントリ追加欄を用意するような形で,エントリに「コメント」が付いたら「コメント」先へのリンクを張るような形にする.つまり,入力はコメント(実際は自分のblogのエントリ入力),出力はTrackBackのようになる.
議論を始める前に,各参加者に自己紹介のエントリを書いてもらう.
他の参加者が書いた気になるエントリはクリップ(ブックマーク)できるようにする.
参加者全員の検索履歴,クリップ履歴は1ヶ所にまとめて表示できるようにする.誰による検索,ないしクリップかまでは気にする人もいるだろうから表示しない方がよいだろう.
インタフェース的にはこんな感じにしておけば自分の発言の場も確保される(Wikiの場合これが難しい)し,また不必要に他の参加者との距離が縮まることもない,と思う.技術的にはインタフェース部分をFlashで用意しておいて,あとは裏でCGIやらRSSのパーザやらなどを回すような形にすれば作れそう.もうこれに近いシステムはあるかも知れないが.いずれにせよここから先は実際に作って動かしてみないとわからないし,議論の盛り上げ方についてはまだまだ計算機が介入し切れない問題も多いだろう.
ちなみに私が現在博士の研究でやろうとしているのはこれとはまた違った視点からのこうした議論のためのインタフェース設計について.これはある程度できあがってから話をしたい.
某共同研究におけるゲーム作りについてだが,「Dの研究に絡めたらどうか」というご提案をいただく.ひとまず日本のblogコミュニティのジャーゴンを使えば「脱うなづき系」*1をそれとなく促すインタフェースをつくる,という目標においてDの研究本線で考えている研究とはつながるので,内容的な摺り合わせはできなくはない.ただこの2つはアプローチがまったく違うし,D論として果たしてうまくまとまるのかという点については何とも言えない.いずれにしろ,あまり時間は残っていないので早く進めねば.
本文なし.
件のコンテストに参加する気はございません.単にどの辺で引っかかるか見てみたいだけなので.ただでさえ最近GoogleのPageRankが落ちたので目立つところにはまず来ないと思うわけだが.
こういった問題もあるし,意外とノートPCの液晶画面上とプロジェクタとで色の出方が違うためにスライドが見づらくなることも多いように思える.このように配色はスライド作成の盲点なので,気をつけねば.
国が育てる「サイエンスライター」 文科省部会が提言./.Jでもコメントしたが,やはり批判的(critical)な文章の読み書きの訓練が学校教育の中でなされていない点が致命的ではないか.「文章の批判的な読み方・書き方」のためのコースが設けられている大学はどの程度存在するのか.「日本語の文章の書き方などいちいち大学で教えるものなのか?」と疑問に思うなら英語から入ればよいし,むしろ「まずロゴスありき」の世界の言葉で批判的な文章の読み方・書き方を学ぶ方がわかりやすいかも知れない.ただ日本の場合は不幸なことに「文法がなっとらん」などという形の問題から入る人間があまりに多いことが障壁になるのだが.もちろん「他人が読める英語」を書くことは重要だが,それ以上に「批判的な文章の読み方・書き方」を学ぶことの方が大事.本当は高校以下も変わって欲しいのだが,まずは大学から.
最上さんは 日本で科学雑誌が充分に成功してないせい
と考えておられるようだが,ではなぜ科学雑誌(日本で言うなら日経サイエンスやNewtonなど,そういえばサイアスもありましたな)がそれほど成功しないのか,を考える.この手の雑誌の中身に興味がない人にとっての科学者とは,たとえば健康情報番組で「魔法の銃弾」のごとく問題を解決してくれる(ように思わせる)人々のことであり,「魔法」はあくまで「魔法」だからなぜ「魔法」が成り立つかなどに興味をもつはずもない*1.それだけサイエンスがブラックボックス化してしまっているし,このブラックボックス化された科学が放置される傾向が強いことが何よりの問題なのである.
このような状況に対して少しでもグラスボックス化しようと試みる(=説明責任を果たす)のは本来は科学者本人の仕事のはずである.こうした科学者の一連の仕事をモニタリングして,それらに対するツッコミを入れるのがサイエンスライターの仕事と分担すれば少しはうまく回るはず.そう考えると科学者本人に対する説明責任をどう促すか,という見方も必要になるだろう.いずれにせよ,こうした仕組みを作るにも批判的な考え方の心得は必須である.
貴重な情報ありがとうございます.ロボットの動作と見かけの問題の論文(入手先)を見ても,また「不気味の谷」という語は出てこないもののこの問題を扱っている,最近日本語訳の出たNormanの本でもThe Buddha in the Robotの方が引用されていたので.
この件は元論文読んでから後日追記予定.
データ解析用統計言語Rによる統計的プログラミング@developerWorksの全3回シリーズ(via 気まぐれ開発日誌).Rのグラフのインタフェースはなかなかわかりにくいが,あれが使いこなせるとかなり自由度の高いグラフが書けるので大変重宝する.あのインタフェースのわかりにくさのせいで,統計処理はRでやるのにグラフはExcelないしGnuplotという人が私の周りに結構いるのが実に惜しい.Gnuplotはヒストグラムを描くのに前処理が必要だったり素直な棒グラフを描くのが苦手だったりして,心理屋さんな仕事には向かないので手放しつつある.Octave+Gnuplotでする仕事があるなら,フリーで手に入る環境としては便利なのだが.
明日は国立天文台一般公開へ.来週土曜は教育システム情報学会シンポジウムへ.研究室に入り浸る週末は避けたい.
最近現実逃避モードが強くなりつつあるのでそろそろ更新ペースを落とさねば.仕事がたまり過ぎているしちっとも進まないので.
36 Topics for Persuasive Technology.Persuasive Technologyの応用が役立つと見込める36の分野についてのリスト.そういえばPersuasive Technologyという語になかなかいい訳が見つからない.一番わかりやすいのは「人を動かす情報技術」だと思うのだが,これではどこぞの会社のキャッチフレーズぽくなってしまっていけない.やはりいきなり「説得」という語を使うと抵抗感があるし,現に私の研究との絡みでPersuasive Technologyを「人を説得する情報技術」と紹介すると「違和感がある」というツッコミがたまに入る.
道具眼的ユーザビリティ・パターン.この手の試み自体は議論の叩き台をつくるという意味で大賛成なのだが,よくよく見れば「よくやるインタフェース設計のミス」のパターンを集めた「ユーザブルなインタフェースのためのアンチパターン」なので,ユーザビリティ・パターンというネーミングが誤解を招きそうなのは気になるところ.
地域密着街の音研究所(via 使いやすさ研究所).普段直接注意を向けることが少ない情報について知る,という意味で興味深い.ユーザが直接注意を向けることのない情報のデザインについてはまだそれほど研究が進んでいないし,アプリケーションも多くないだろうと思っているので今後模索が必要であろう.
鈴木クニエさんが各所の反応をまとめてくださっている(ご紹介感謝です).やはり実際にライターとして活躍されている方や科学技術政策に関わっておられる方などとなると問題の掘り下げ方が全然違う.ひとまず私の感想は,大学院の教育現場で教育を受けてきた体験と私なりの組織のあり方に関する考察がもとになっているので.
ワークショップの裏方業と,いい加減たまりまくった仕事の処理と資料読みをしたいため2日ほど一息入れる.
以前書いた方針に基づき,昨日のものに来たTrackBackを削除しました.
カネゴンさんの昨日の日記に反応.昨日書こうと思って結局やめたのだが,特にロボットのアピアランスの影響に関する分析については,実は映画や漫画の分析が突破口にならないかということを考えていたりもする.記述的な分析についてはこの手の研究なら多いはず.漫画ならScott McCloudなどがやっているはず.前研究室での文献紹介で一番最初に紹介した論文にその手のリソースがあった気がするので,あとで調べよう.
もうひとつ 「学者だから(研究に無関係な)〇〇はしなくてもいい」「学術関係者だから××ができなくても仕方がない」ということって本当に内部で許しあっていたりするだろうか
で思い出した話.ロボット研究では「デモで実機が動かないのは当たり前」という常識がまかり通っていた(まだまかり通っているのかも),という話を聞いたことがある.そういった雰囲気のロボット研究者コミュニティ相手に黒船の如く現れたのがRoboCupだったのだそうだ.まあRoboCupの場合は実機を使わないシミュレーションリーグのような試合やら災害時の人命救助を目的としたものやらプロジェクトの多角化を図ることで,動かない実機ばかりという事態でプロジェクトが頓挫するリスクをコントロールしているとみてもいいのかも知れない.
平林さんのご意見には強く同意です.隣の研究室の人間にさえ研究内容が満足に理解させることができない,という状況すら大学ではありそうな話なので.たとえば大学院の専攻内,ないし似た研究分野の集まった専攻間での研究内容の相互理解の試みはあってもよいように思う.もちろん一般の方々に理解できるような話ができることが理想だが,まずこのレベルから始める必要がありそう.SciCom News(ご紹介感謝です)で紹介のあった研究者側の言い分の中での 評価する声
について見てみると,どうも研究者の研究内容の理解を任せられるような存在が必要だ,という意見だと読めてしまうので.
peer review(同僚評価)ベースの研究者コミュニティの閉鎖性の問題は確かに蛸壺化の激しい分野ではよく当てはまる話なのだが,私が身を置いているHCIの周辺では研究者コミュニティの学際性ゆえのまた別の問題があるように思える.この件については後日.
B. J. Fogg. (2003). Persuasive technology: Using computers to change what we think and do. Morgan Kaufmann.
コンピュータを,人間の態度や行動の変容を自発的に促す,つまり人間を「説得する」技術として捉え,どのように活用すべきかについて論じている.ちなみに著者の師匠はSRCT研究の創始者のひとりであるClifford Nass.Jakob NielsenもAlertboxで書評を書いている(日本語訳).
感想を一言で言うなら,結論はDon Normanなどが昔から口を酸っぱくするほど主張してきた「人間中心のインタフェース設計」やNielsenのWebユーザビリティに関する一連の知見と,SRCT研究の知見をくっつけただけ,というレベルを脱しているわけではなく,読後にそれほど多くを期待できるような本とは言い難い.それだけ解決策だけはもうわかりきっているにもかかわらず,なかなか理解や実践の難しい話なのである.この本に「魔法の銃弾」の存在を期待する人は最初から読まない方がいい.
だが,なぜその解決策が必要なのか,というところで「コンピュータによる説得」という説明を加えていたり,徹底してHCI研究のスタンスを貫いていたりするのがこの本の重要なところと言える.私の立場から言えば,コミュニティ支援システムの研究のベースが極端にCMC寄りであるところに以前から不満がたまっていた.すでにCMC的な視点からコミュニティ支援システムをつくる方法論はほぼ出尽くしたように見える.なぜみんなアバタベースのシステムにこだわるのかがわからない.類似の研究はいくらでも出てくるし,その類似の研究間の差異が見えない.言い方は悪いが,予算が下りてきたのでなんか楽しそうなものを作りました,というようにしか見えないのである(アバタというシステムそのものについても疑問があるのだが,それはまた今度触れる).個人的にはコミュニティの中にシステムが積極的に介入するという次のフェイズに進んで欲しいとも思うし,自分もその次のフェイズに対する案がひとつあるので,早いうちに手をつけてみたいと考えている.
@book{fogg:captology,
author = "B. J. Fogg",
title = "Persuasive Technology: Using Computers to Change What We Think and Do",
address = "San Francisco, CA",
publisher = "Morgan Kaufmann Publishers",
year = 2003}
その前に調べ物の中で出てきたものメモ.科学技術社会論学会のサイトがいつの間にかリニューアル.Mambo(日本語版)というCMSが使われているようだ.
Multi-disciplinary collaboration.ひとまず本を読んで研究内容を吟味しないことには何とも言えない.目次を見る限りでは興味深いのだが.
本題.HCI研究者コミュニティの学問領域のベースを探るにはどういうアプローチが有効だろうか.認知科学の場合は実は心理学,または計算機科学をベースにした研究者の力が圧倒的に強い状況が続いていて*1,それはそれで研究者コミュニティの多様性という観点からすれば問題なのでできるだけ多くの分野の人間が関われるようなコミュニティになるべく試行錯誤が続いている,という印象が強い.HCIの研究となるとどうもこの辺の事情が違うように思える.コンピュータサイエンス,ないし工学出身の研究者が圧倒的に強いが,HCI研究における重要なバックグラウンドであるはずの社会科学系の研究者が思ったほど活躍できていない気がする.まだこれは素朴な印象ゆえ,たとえば書誌データ(論文,国際会議など)の分析等を行わねば結論は下せないのだが,少なくとも認知科学とは全然違ったアカデミックバックグラウンドの違いによる研究者の力関係が見えそう.
ということで10日ほど前に仕上げて共同研究先に出すつもりだったD論の研究のプロポーザルをようやく文章に起こし始める.この10日ほどの遅れというのが実に痛いのだが.ずっとアウトラインの枝ばかり増やしまくっていたが,何とか文章にまとめる形に持っていけそう.研究の方向性には大いに自信があるのだが,現状ではアプリケーションといい方法論的なアウトプットといい,実にしょぼそうなのがしんどいところだ.これでD論にまで持っていけるのだろうか.
昨日のミーティングで気になった話.「特に日本人は対話することが苦手なのだから,エージェントはユーザ間の対話のきっかけとなる雰囲気づくりに用いればよい」という話が出てきていた.エージェント,そして何よりユーザに対してこういう捉え方をしているからいつまで経ってもエージェントはCooperの用語で言うところの「踊るクマ」以上のものが現れないのだが.
この発言の背景には2つの違った問題点がある:
いまさらながら上記リンク先の最上さんの文章をちょっと書き換えてみる(真似させていただきました):
ユーザがエージェントと対話することになった時、単なるテキストとの対話では見られないような「人らしさ」を見せるに違いない。そしてそれがエージェントの知能をつくり出す仕組みに違いない。 ---これは良く言われることだ。もちろんそうに違いない。しかしエージェントの「人らしさ」に興味を持った研究者にはどうもふた通りいるような気がしていた。そして「あっちがわ」の人たちの言うことにはどうも賛成できないと感じていた。
もちろん単なる言葉の置き換えなのでいくらか不自然な点もある.特に「エージェントの知能をつくり出す」という点は誤解を招きそうなので注釈を入れると,私の場合は「あるエージェントのアピアランスや言動がユーザに知覚されて,ユーザ側で『人らしさ』として解釈される」という意味でこのような言葉の置き換えをしたつもりである.エージェントの中身を作り込むということは「あるエージェントのアピアランスや言動」のデザインに過ぎないし,またどのように「ユーザ側で『人らしさ』として解釈される」かについてメカニズムのレベルで模索している研究者があまりに少ないことがここでは何よりの問題なのである.以下,ダイナミクスとメカニズムという語はユーザ側のモデルの問題として解釈されたい.
擬人化メディアの意義については前ボスは「デモが派手になって見映えがするから」と答えていたし,現ボスは上記のように「対話を生み出す雰囲気づくりになる」と答えていた.擬人化メディアに対してこのようなダイナミクスのレベルでの理解しかなければ,いつまで経っても擬人化メディアは「踊るクマ」のレベルから脱することはできないだろう.幸いなことに,メカニズムのレベルで擬人化メディアを捉えている研究者は私1人ではないので,少しはまだ望みがあるわけだが.
いずれにせよ,私の院以降の指導教官のようなAIのコミュニティをメインに仕事をされている方々に対して,メカニズムのレベルで擬人化メディアを捉えるアプローチそのものの説明からして難しい.まだまだこのアプローチの意義を説明するレベルに持っていくどころではないのである.いま研究のプロポーザル書きの真っ最中なのだが,まずこうしたアプローチの説明と有用性をひたすら根拠を示しつつ主張し続けるほかない.説得できるだけの証拠は揃っているのだから.
ひとまず文化的なステレオタイプを捨てて,なぜ「face-to-faceでは議論が生まれにくいのか」という要因を考えてみる.社会心理学の教科書*1を引っ繰り返せば,「同調」「権威づけ」「集団極性化」やら,といった現象を通していかに人間が他者の影響を受けやすいかが説明されている.議論が活発にならなかったり,いわゆる「馴れ合い」が起こったりする大きな要因はこれにあると考えている.くれぐれも注意しなくてはならないのは,これらの研究は基本的に欧米で始まり,それからたとえば文化が違うとどうなるかなどの研究が展開されている点である.世界にはどういった文化が存在しどのような社会的な進化を遂げた人々がいるかわからないのでそう簡単に結論づけられないが,人間とはおそらく他者の影響を受けずにはおれない生き物であろう.欧米人でさえこのような他者からの影響を受けずにいられないことはこのような多くの社会心理学,特に集団力学の研究が示唆している.このような他者からの影響については文化差は存在するだろうが,それはおそらく程度の問題であって,確かに「日本人は議論が苦手」かも知れないが,日本人全員が苦手であるはずはなかろう.逆に日本人,もう少しこの場合の定義をはっきりさせると日本で日本語によって教育を受けてきた人間でさえ,「議論の型」さえ理解できれば議論をそれなりに進めることが可能であることは学部時代に経験している*2.教育現場,特にグループ学習の場面ではこの手の「馴れ合い」でなかなか議論が進まない現状が目の前にある*3わけで,議論を深めるインタフェースに対するニーズは少なからず存在する.環境が揃わなければ難しい? だったらそれこそインタフェースの設計で解決を図ろうと試みるのがHCI研究者の仕事だろう.
以上のような問題点がある以上,「馴れ合い増幅装置」を作ることは何が何でも絶対に御免蒙りたい.そんな研究は腐るほどあって新規性も意義も見出せない.エージェントを通したコミュニケーション環境の中から,議論に対してタフな人間がひとりでも多く現れて欲しい.それが私のD論研究における野望である.
文体が荒れていた.落ち着かねば.
[ 2004-10-30T12:30:02+09:00 追記] さらに加筆修正.この件については慎重にまとめたい.オフラインの段階で見直すべきではあるのだが.
[2004-10-30T19:22:24+09:00 さらに追記] 間違いなく誤解を招くであろう記述があるので注釈を入れた.
*1 たとえば『複雑さに挑む社会心理学:適応エージェントとしての人間』など.
*2 英語教育がもちろんベースにはあるはずだが,実は個人的にこのことを特に強く体感したのは一連の心理学の講義や実習である.やはり心理の一連のコースでの課題は厳しかったと思う.一番厳しい心理統計のコースだけ生物統計(こちらは逆に易し過ぎた)で振り替えてしまったので,心理プロパーな人々と比べると甘いのだが.
*3 手元にある文献では楠房子・佐伯胖.1999.意見が違うから,学び合える:非合意形成的協同学習システムの開発をめざして.情報処理,Vol. 40,No. 6,pp. 564--568.
質疑応答の箇所が大変重要.講習会という性格上ペルソナ/シナリオ法を持ち上げる方向にバイアスがかかっている可能性はあるものの,今後の研究に関わる話なので,読み込んで戦略を立てねば.
ひとまず本棚.orgに登録済の本一式をブクログにミラー.ただブクログはインタフェースがいまひとつ,特に1冊に対して複数カテゴリが登録できないという個人的には致命的な欠点がある(それ以前に登録した本のミラー以上の作業をするのが面倒)ため,単に本を登録するだけして「この本棚と似てるかも本棚」を淡々と眺めるだけに留めるつもり.
大岡山西9号館まで論文の回収をしに行く.西9は内部構造のわかりにくさやら西9に入っている各専攻の名前の紛らわしさやらで目的の図書館に行くのにひたすらたらい回しにされる.着いたら着いたで事務方は相変わらず無愛想である.まあ一ツ橋のからくり屋敷ぶりやら事務方の仕事ぶりやらを考えると他人のことは言えないわけだが,こういった目に遭わされると何のための法人化なのか理解に苦しむ.
興味深い話がいろいろ聴けた.
Knowledge Forumを日本の小学校に導入した事例の中で,まとめたノートをもとに遺伝子組み換え食品の是非を議論するという場面があった.議論のインタフェースはgIBIS*1のような形で,各メンバーは「賛成」側「反対」側のいずれに対して書き込んでもよいが,必ず根拠を示しながら議論をするような形になっている.書き込んだ人の名前も出る.こういった形でも議論は盛り上がるようだ.もちろんメンバーが実際に顔を合わせる頻度やモチベーションの高さなどの要因もあるのだが,やはり根拠を示す義務がある点と『合議の知を求めて』でも指摘のあるように論点の外化が効いているのだろう.私の研究ではさらに違う見方が必要.
大学のコースのレポート評価にpeer reviewを導入した話があったが,気になった点は2つ.
レポートの評価基準に関しては特に何も指示せず,ただ「説得力があるか」という基準のみで学生がレビュー時に5段階評価を行っている点.
レポートの書き方についても特に明示的なルールについては指示せず,最初は慣れるためにひたすら書くように学生に指示していた.さらに,学生の書いたレポートをスタッフ側で最初に評価し,「よいレポートの例」として提示していた.そして,どこが「よいレポートの例」なのかについては学生の判断に任せていた.
もちろん,この例と個人的な有象無象の経験のみから結論づけるのは早計だが,日本の学校教育ではどうも多くの現場で「論理的な文章の読み方・書き方」のルールを明文化しているように思えない.研究の現場でさえそう思える.私の周りの分野を見ていても,なぜその研究を行うのかという根拠があやふやでいら立つことは多い*2.他人のことは言えないが.せめてサーベイをみっちりやって理論を固めてから研究を始めて欲しい.AIのコミュニティに移ってきて,「サーベイ多過ぎ」と突っ込まれたり,字面通り「面白いか面白くないか」が研究の価値観の大きな割合を占めていたりする*3のが信じられない.
ちなみにこのような根拠があやふやな研究者コミュニティにいるからこういうツッコミをしたくなるわけだが,逆に根拠を詰問されるようなコミュニティでは「沈黙は金」などと言い出したりする.現に学部時代の英語のグループディスカッションの時,あまりに議論する気のないテーマだったので同じグループの相手にそう言って激怒させたことがある.まあ私は単に他者に縛られる行動が嫌いな人間なだけかも知れない.
かなり前に人机交互論などでとりあげられていたThe User-Centric Design TrapにおけるPersuasive Architectureに関する一連の論争についていまのうちにフォローする.
インタフェースに対する考え方として「人工物側がユーザ側に適応するように設計されるべし」という見方と,逆に「ユーザ側が人工物側に適応すべし」という2つの見方がある.ここで後者のようなスタンスをとると,ユーザビリティ関連のお仕事に携わる方々であれば「とんでもない考え方だ」と非難されるであろう.もちろん,想定されるユーザにとって使いやすいインタフェースの設計に対する努力は当然ながら必要だし,UCDは品質保証活動
という見方については強く同意する.しかし,ユーザと人工物とのインタラクションの中で,ユーザは少なからず人工物側に適応せずにいられないところが存在するわけで,ここに対してPersuasive TechnologyもPersuasive Architectureもフォーカスが当たっているはずなのである.だが,ホワイトペーパー(PDF,484KB)や関連記事(日本語版はかえって混乱するので原文のDo You Want to Inform or Persuade?やThe Five Issues that Persuade Visitorsにも)に目を通したものの,いかんせんPersuasive Architectureについては人間の意思決定プロセスのモデル(これの原典らしきものも見当たらず,私が読み落としているのか?)とこれまでのUCDのアプローチを摺り合わせただけにしか読み取れない.理論的なバックグラウンドはどの辺だろう,と調べてみても出てくるリソースがWhy We Buy(日本語訳)のみ.この本はショッピングにおける人間行動の観察の際のデータのとり方以上の説明はない.これで「UCDなんてもうダメ.これからはPersuasive Architectureだ!」と言われても納得はいかないだろう.
さて,Persuasive Technologyの方だが,Jakob Nielsenが絶賛していると言っても一番絶賛している箇所はWeb Credibilityに関するところである.Persuasive Technologyの中のWeb Credibilityの章については調査の規模の巨大さの割にはNielsen本人の本の主張の繰り返しの域を出ていないように読めてしまう*1し,Web Credibilityが書かれているChapter 7より前の章にPersuasive Technologyのキーになる理論の土台が説明されているのにそこに関してはNielsenは言及していない.ここが一番肝心なところなのだが.
Foggの「ユーザを説得する情報技術としてのコンピュータの3大機能」として次のものが挙げられている:
ここにUCDがカバーしているユーザビリティの向上が含まれていると考えられる.「どのようにユーザの入力の手数を減らすか」「どのようにユーザに対して情報のナビゲーションをうまく行うか」「どのように,またどの程度個々のユーザに対してパーソナライズされた情報を提示するか」といった点についてはUCDの守備範囲で,ユーザビリティ関連のお仕事に携わる方々が活躍できる場である.ほか,推薦システムの導入,万歩計のような自己モニタリング,ユーザに対するある行動へのオペラント条件づけ,複数ユーザに対する各ユーザの互いの行動の相互監視,といった例が挙げられている.
メディアといってもここで指しているのはユーザ間インタラクションのことではなくユーザと環境とのインタラクションのこと.より具体的にいうと現実世界のシミュレーションとその結果のユーザへのフィードバックのことである.地球環境シミュレータのようなもののパラメータをいじってその影響をみたり,VR環境でそう簡単に体験できないような作業を模擬的にやってみたり,といったものがここに含まれる.
コンピュータに対する社会的反応からユーザの態度の変容を促すアプローチを指す.コンピュータのアピアランス,「性格」のデザイン,言葉遣い,協調作業や互恵的行為などの社会的インタラクション,コンピュータに対する社会的役割の割り当てといった問題がある.これについては『人はなぜコンピューターを人間として扱うか:「メディアの等式」の心理学』も参照.Fogg自身が関わった研究も含まれている.
つまり,Persuasive Technologyはこれまでの「人工物側がユーザ側に適応するインタフェース設計」という見方に加えて「ユーザ側が人工物側に適応するインタフェース設計」にも踏み込もうとしているわけだ.もちろん前者は前者で重要だが,特に後者についてはまだまだ研究の現場でもこれから,という状況なので今後追求が必要だろうと考えられるし,私の現在の研究スタンスも後者である.ここまで説明しないとなぜ"Persuasion"という視点でインタフェースを捉える必要があるのかが伝わらないであろう.
そろそろPersuasive Technology in Japan Wikiでも立ち上げようかと考えているところ.今週中にやろう.
*1 最近の研究はもっと対象を絞っているようなので,もう少し独自な結果が出ている可能性があるがフォローし切れていない.興味のある方はWeb Credibilityのサイトからリソースをたどられたい.
(注)このページの内容は無保証です. ページ内の情報の利用は各自の責任にてお願いします. 記述の間違い等の指摘やフォローも歓迎しますのでコメントをどうぞ.
_ KM [原著,それ初出じゃないです http://www.ohmsha.co.jp/robocon/magazine/no0..]