と某学会の同時配信の方々の中に自分の記述が混ざっていると思うわけで.
最近多忙のため隔日更新中.
今後サイト全体をtDiaryテーマに統一させることを見据えて(その方がデザインも楽だし),書評のページのフレーバーをいじる.ひとまず見るに堪えるレベルに引き上げるのが精一杯であまり時間的余裕がないのだが.PCのデスクトップのツールバーと同じ理由で個人的には右にサイドバーがある方が使いやすい.
私も右派.GnomeのパネルもWindowsのツールバーも右に置いているがこのことで学部時代の友人に変人扱いされたことがある.彼はMac使いなこともあって上に置いていた.
もうひとつ関連して,Webページについてはメニュー群を左に置くか右に置くかに関係なく,メニュー群はできるだけHTMLでは後ろに書いておいて,配置をスタイルシートに任せる形の方がアクセシビリティ上よいと考えられる.たとえばw3mやlynxのようなテキストブラウザで見た場合のことを想像されたい.
Manfred Spitzer,村井俊哉,山岸洋(訳).『脳 回路網のなかの精神:ニューラルネットが描く地図』新曜社,2001.
以前どこかでわかりやすい入門書としてとりあげられていて(いまぐぐってみてそのページを思い出した),読もうと思って読んでみた本.これが門外漢の私(一応機械学習としてのニューラルネットは少しかじっていたが,ほとんど忘れかけていた)でも実にわかりやすく,面白い.実験室寄りの研究者にはニューラルネットのモデルを道具に脳の概観を,モデル寄りの研究者にはいかにして脳科学の世界に機械学習のモデルが貢献できるかをちゃんと両方の立場に立って説明している.1年前に計算神経科学の授業を聴講していたが,モデルの説明も脳の機能面の説明も(いま思えば)中途半端でよく理解できなかったのとは見事に対照的である.入門書にしてここまで明解で,「理解できるまで何度でも読みたい」と思わせる本は貴重.
@book{spitzer:brain,
author = "Manfred Spitzer",
title = "脳 回路網のなかの精神:ニューラルネットが描く地図",
publisher = "新曜社",
year = 2001,
note = "村井俊哉, 山岸洋 (訳)"}
Zimbardo, P. G. & Leippe, M. R. (1991). The Psychology of Attitude Change and Social Influence. McGraw-Hill.
社会的影響や説得と態度変容に関するテキスト.いままでの知識の確認と,今後英語の論文で引用するため読み込んでいるところ.Aschの同調やらMilgramの権威服従の実験の様子から米国での合同結婚式の模様まで写真で出ているところに生々しさを感じた.下手な日本語のテキストよりよほどインパクトがある.もっとも,プライバシーの問題もあるのでそう簡単に写真が使えるわけでもないのだが.
@book{zl:influence,
author = "Philip G. Zimbardo and Michael R. Leippe",
title = "The Psychology of Attitude Change and Social Influence",
edition = "3rd",
address = "New York",
publisher = "McGraw-Hill",
year = 1991}
Henry Lieberman. Tyrrany of Evaluation. Web document.
このようなサイエンスの一分野としてのユーザ評価の批評については,メタな立場から現状を分析しないと単なる水掛け論になってしまう.まずこの点に留意されたい.その上で,ユーザ評価という分野が多様な分野との協同作業によって成り立っているもので,いかにその評価の妥当性を主張するかについて多くの議論が必要であることを主張したい.
Byron Reeves & Clifford Nass. The Media Equation: How People Treat Computers, Television, and New Media Like Real People and Places. University of Chicago Press, 1996.(リンク先はReprint edition)
細馬宏通(訳).人はなぜコンピューターを人間として扱うか:「メディアの等式」の心理学.翔泳社,2001.
SRCT研究の原典.しかし現在ではさすがに基礎研究としてはほぼ完成してしまっており,応用の際の問題に重点を置くか,ECAの研究に活路を見出すか,といった方向で現在は進んでいる.また,コンピュータは社会的存在としてユーザに知覚される,ということを大前提に議論を展開しているため(その根拠としている実験については,後日論文を紹介する予定),単なる「モノ」と「社会的存在」の線引きについて議論を避けているように見えてしまう.もっとも,その線引きに対してSRCTのアプローチは無力だという自覚はあるのかも知れないが.
また,工学的アプローチの中でのこれらの知見の応用がうまくいっていないのも問題があるだろう.「ユーザはコンピュータに対してあたかも人間であるように振る舞う」という一文を言いたいがためだけにこの文献を引用している論文からは個人的には得るものがほとんどない.「コンピュータのある振る舞いについてユーザはどのように反応するか」というところまで掘り下げた議論がなければ,その研究の将来性が期待できないし,私が知る限りでは残念ながら国内外問わず9割以上の論文が掘り下げた議論ができていない.まあできていたとしても妥当な結論付けができているかどうかという難関がまた現れるのだが,そこまで来ればまだ得るものが少なからずあるのでありがたい.
@book{reeves:mediaequation,
author = "Byron Reeves and Clifford Nass",
title = "The Media Equation: How People Treat Computers, Television, and New Media Like Real People and Places",
publisher = "University of Chicago Press",
year = 1996}
杉原知道.ドラえもん〜ロボットらしく,ロボットらしくなく.計測と制御,Vol. 43,No. 1,2004.
森山さんの日記経由.ロボット=生物を模倣した機械
という議論から始まっているが,話はそう単純ではないだろう.森山さんの 動物を模倣することを目指した機械
という見方も同じ.理由は次の2つ:
一言で「生物,ないし動物を模倣する」と言ってもAIBOのように犬や子ライオンなどを模倣してはいるがあくまでロボットを目指す方向と,パロやネコロやアクトロイドなどのように見た目だけでも本物の動物に近づけるような方向とがあると思われるのだが,そこまで突っ込んだ考察がなされていないのが惜しいところである.以前アクトロイドについての反応でも書いたのだが,やはり「動物を模倣してはいるがあくまでロボットはロボット」というスタンスの方が期待がもてる.
さらに,そもそも人工物における「生物らしさ」はどこから生まれるのか,という問題も絡む.ヒトの形をしたロボットであれ,ただの箱であるコンピュータであれ,その振る舞いの違いはあれど人間はある手がかりをもとに,ある種の「生物らしさ」を見いだしてしまうことは数々のSRCT研究が示す通り.場合によっては,ロボットの設計者の意図しないところでロボットの「生物らしさ」がロボットを見た人間に知覚されることもある.
こういった議論に対して,ロボットの研究者もAIの研究者もいままであまりにも無頓着過ぎではなかっただろうか? ただなんとなく人工物の「生物らしさ」なるものを思いついて,なんとなく「生物らしい」人工物を設計しているだけのように思える.確かに一般の方々にもわかりやすく研究の話を伝えることは必要だが,それは必ずしも 話
を 単純に
することで達成されることではないだろう.ここで挙げた2つの論点についても,一般人との認識
との食い違いは大きくはないと考えられるため,説明のしかた次第で十分理解できる議論だと思う.
@article{sugihara:doraemon,
author = "杉原 知道",
yomi = "Tomomichi Sugihara",
title = "ドラえもん〜ロボットらしく,ロボットらしくなく",
journal = "計測と制御",
volume = 43,
number = 1,
month = jan,
year = 2004}
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