0x0a


2004-06-01 (Tue) [長年日記]

_ 1粒でシシャモ8匹分のカルシウム。

神保町三井ビルの( ´Д`)でもらった試供品に付いていたフレーズ.

_ 仕事が降ってきた

サーバ管理の仕事が降ってきた.頼まれた作業をせねば.

一ツ橋2Fで別の仕事.

_ やはり第一印象は大事だ

冴子先生キター.反応多謝です.

で,さらにマジレスは続くわけですが.話は変わってソフトウェアの「見た目」について.「同情するコンピュータ」が成功するにはまず「見た目」の印象がよくなくては話が始まらない.

たとえば「棒人間」よりも「まともに」人間らしい形をしているエージェントの方がユーザは人間相手のレスポンスを返しやすいようだ*1.それなりに知的な作業を演じるエージェントであれば,知的な「見た目」が必要であろう.イルカは「賢そうに見える」以前に,やはり「動物」である.そういえば人間のアピアランスをもつMS Officeアシスタントは私の知る限り冴子先生以外にいないような気がする.その見た目の人間らしさゆえの世界的人気なのかも知れない.

さらに,そのエージェントの身なりや体つきも重視されていいだろう.以前私の研究で使ったJamesというエージェントは,画面に小さめに出力したにもかかわらず,「がっしりしている」「ごつい」などの印象をもつ方々がおられた(ここまでならWebに書ける話).それを頼もしいと解釈するか,威圧的と解釈するかは作業のコンテクスト次第.ユーザは結構細かいところまでエージェント,ひいてはソフトウェアについて意識しているとみていいと思う.

*1 参考文献のひとつ:Eun-Ju Lee, Clifford Nass. Experimental Tests of Normative Group Influence and Representation Effects in Computer-Mediated Communication: When Interacting via Computers Differ from Interacting with Computers. Human Commnication Research, Vol. 28, No. 3, 349--381, 2002. この論文は別の文脈でも重要なのだが,そのうち機会をみて言及する.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 武藤 [はじめまして。エクセルで動かす麻雀ゲーム、 Cell_雀なるものを開発しております、武藤と申します。 冴子先生、た..]


2004-06-02 (Wed) [長年日記]

_ 情報系の研究の情報公開がWeb上で進まない状況が何とも歯痒くてならない

最近怒涛の如く自前アンテナの捕捉先を増やしているところだが,バイオ系の研究者の皆さんが日記,ないしblog上でいろいろ研究についてお話をかかれていたり,議論されていたりするのをみるにつけ情報系の人間は何をやっとんねん,というツッコミを入れたくなってしまう.私の関わっているHCIについて個人が定期更新して研究について掘り下げて語っているサイトとなると,日本語に限ると両手で数えられるほどしか存在しないように思える(英語だともっとあるかも知れないが,私が知らないだけ?).いちいち名前は挙げませんがそのような貴重なコンテンツを日々書いておられる皆様にはひたすら感謝です.

_ Web日記/blogがつくるゆるいコミュニティはいかにして成り立っているのか

実名の人たちのゆるいコミュニティがある.私の場合はHCIという分野の性質ゆえ,「異分野の方々の影響を受けてなんぼ」ということもあって積極的にゆるいコミュニティへの参画をしている(矛盾した表現ですが)ところがあると思います.HCIは手段の学問であって目的の学問ではないので,手段として計算機がどのように使われているのかをよく観察しなくては研究がつとまらないという考えが研究者としての個人的な信念としてあるわけです.

ここで一般論.Web日記/blogがインタフェースとしてどういう役割を果たしているのかに関しては以前blog勉強会の感想としてまとめたのでこれを踏まえて.SRCT流のラディカルな解釈をすると,Web日記ツールもblogツールも本質はユーザと社会的存在としてのツールそのもの(Webサービス型でない場合はエディタ,というより記述のスタイルか,解釈が難しいところだ)との対話にあると考えられる.ただ,対話の相手が意識される場合についてはその相手に向かって書く場合も実際にあるので,それは例外となる.しかし,この「ユーザとツールそのもの」とのインタラクションが基本にあるおかげで個人が個人の場を持ちながら,情報を発信できるというメリットをユーザは享受できると思われるし,これ以上他者の目を意識させるような仕組みを導入することについては歓迎しない.SNSはそういう意味でまだ未熟だというのが個人的見解.

_ Webにおける危機管理は一筋縄ではいかない

奥村先生のいろいろ経由で派遣VS.正社員 モラルハザード生む職場の葛藤.個人情報の問題がおそらく最も深刻なのだが,会社の機密事項一般に拡大して考えても「機密事項とはわからずに書いてはいけない話を掲示板なりWeb日記なりblogなりに書いてしまった」というケースは頻発しそうだ.確信犯的なモラルハザードの問題もあるのだが,こういう社会のルールを知らずに起こるモラルハザードもあるだろう.「専門家は個人の責任で情報発信するな」問題の要因のひとつはこれではないか.少なくとも,単にモラルハザードを起こした人間を片っ端から叱りつけてゆくだけでは解決しない.

あくまで予防的な問題解決が必要.思い当たる解決策は現状ではこの程度であろう.それもまったくもって具体的かつ現実的でないのが痛いのだが:

  • 私は以前誓約書をとれば多くは解決できるだろう,と主張したことがあるが,派遣社員相手の場合は法的に通用しないということをこの記事で知った.不勉強はいけない.いずれにせよ,何らかの形で機密情報の管理の周知徹底が必要.

  • もうひとつはメディアリテラシーの徹底.Webも含めて「メディアの情報は鵜呑みにするな」という見方も周知徹底する必要がある.だが個人情報の流出についてはこの策ではいかんともしがたいし,単に「鵜呑みにするな」ということがわかっていても群集心理がはたらく場面ではコントロールがきかないことも多い.

なかなか問題の整理も解決策の提案も難しい.いい方法はないものか.

_ ようやく対処できた

MyClipのJavaScript経由の出力フォーマットは自力でカスタマイズできるということをいまごろ知った.ということでRSSを加工するとなると現状では何かと面倒なのでJavaScript出力に戻す.

JavaScript出力といえば,最近GoogleもJavaScript出力なテキストを検索で引っかけるようになった.馬鹿なことを言ってはいけない.jscacheのおかげで静的なHTMLが生成されるようになったおかげでGoogleが読めるようになった.だからSimilarity Searchで出てくる書いた覚えのない単語で検索に来られたりもしてしまう状況になっている.


2004-06-03 (Thu) [長年日記]

_ ひとまずそれなりに理屈をつければ業界の批判はむしろ歓迎されるのが学問の本質ですな,いやあ,今日も飯が旨い

と某学会の同時配信の方々の中に自分の記述が混ざっていると思うわけで.

最近多忙のため隔日更新中.

_ lilyを無理やりtDiaryテーマに対応させる

今後サイト全体をtDiaryテーマに統一させることを見据えて(その方がデザインも楽だし),書評のページのフレーバーをいじる.ひとまず見るに堪えるレベルに引き上げるのが精一杯であまり時間的余裕がないのだが.PCのデスクトップのツールバーと同じ理由で個人的には右にサイドバーがある方が使いやすい.

私も右派.GnomeのパネルもWindowsのツールバーも右に置いているがこのことで学部時代の友人に変人扱いされたことがある.彼はMac使いなこともあって上に置いていた.

もうひとつ関連して,Webページについてはメニュー群を左に置くか右に置くかに関係なく,メニュー群はできるだけHTMLでは後ろに書いておいて,配置をスタイルシートに任せる形の方がアクセシビリティ上よいと考えられる.たとえばw3mやlynxのようなテキストブラウザで見た場合のことを想像されたい.

_ 現場の世界とモデルの世界の両立について,そしてよい入門書とは何かについて

以前どこかでわかりやすい入門書としてとりあげられていて(いまぐぐってみてそのページを思い出した),読もうと思って読んでみた本.これが門外漢の私(一応機械学習としてのニューラルネットは少しかじっていたが,ほとんど忘れかけていた)でも実にわかりやすく,面白い.実験室寄りの研究者にはニューラルネットのモデルを道具に脳の概観を,モデル寄りの研究者にはいかにして脳科学の世界に機械学習のモデルが貢献できるかをちゃんと両方の立場に立って説明している.1年前に計算神経科学の授業を聴講していたが,モデルの説明も脳の機能面の説明も(いま思えば)中途半端でよく理解できなかったのとは見事に対照的である.入門書にしてここまで明解で,「理解できるまで何度でも読みたい」と思わせる本は貴重.

BibTeX Entry

@book{spitzer:brain,
author     = "Manfred Spitzer",
title      = "脳 回路網のなかの精神:ニューラルネットが描く地図",
publisher  = "新曜社",
year       = 2001,
note       = "村井俊哉, 山岸洋 (訳)"}

_ 入門書だからこそ必要な「生々しさ」

社会的影響や説得と態度変容に関するテキスト.いままでの知識の確認と,今後英語の論文で引用するため読み込んでいるところ.Aschの同調やらMilgramの権威服従の実験の様子から米国での合同結婚式の模様まで写真で出ているところに生々しさを感じた.下手な日本語のテキストよりよほどインパクトがある.もっとも,プライバシーの問題もあるのでそう簡単に写真が使えるわけでもないのだが.

BibTeX Entry

@book{zl:influence,
author    = "Philip G. Zimbardo and Michael R. Leippe",
title     = "The Psychology of Attitude Change and Social Influence",
edition   = "3rd",
address   = "New York",
publisher = "McGraw-Hill",
year      = 1991}

_ サイエンスとしてのユーザ評価

このようなサイエンスの一分野としてのユーザ評価の批評については,メタな立場から現状を分析しないと単なる水掛け論になってしまう.まずこの点に留意されたい.その上で,ユーザ評価という分野が多様な分野との協同作業によって成り立っているもので,いかにその評価の妥当性を主張するかについて多くの議論が必要であることを主張したい.

_ SRCTの現状と限界

SRCT研究の原典.しかし現在ではさすがに基礎研究としてはほぼ完成してしまっており,応用の際の問題に重点を置くか,ECAの研究に活路を見出すか,といった方向で現在は進んでいる.また,コンピュータは社会的存在としてユーザに知覚される,ということを大前提に議論を展開しているため(その根拠としている実験については,後日論文を紹介する予定),単なる「モノ」と「社会的存在」の線引きについて議論を避けているように見えてしまう.もっとも,その線引きに対してSRCTのアプローチは無力だという自覚はあるのかも知れないが.

また,工学的アプローチの中でのこれらの知見の応用がうまくいっていないのも問題があるだろう.「ユーザはコンピュータに対してあたかも人間であるように振る舞う」という一文を言いたいがためだけにこの文献を引用している論文からは個人的には得るものがほとんどない.「コンピュータのある振る舞いについてユーザはどのように反応するか」というところまで掘り下げた議論がなければ,その研究の将来性が期待できないし,私が知る限りでは残念ながら国内外問わず9割以上の論文が掘り下げた議論ができていない.まあできていたとしても妥当な結論付けができているかどうかという難関がまた現れるのだが,そこまで来ればまだ得るものが少なからずあるのでありがたい.

BibTeX Entry

@book{reeves:mediaequation,
author    = "Byron Reeves and Clifford Nass",
title     = "The Media Equation: How People Treat Computers, Television, and New Media Like Real People and Places",
publisher = "University of Chicago Press",
year      = 1996}

_ 「生物らしさ」とは何か? 「生物らしさ」とはどこから現れるのか?

森山さんの日記経由.ロボット=生物を模倣した機械 という議論から始まっているが,話はそう単純ではないだろう.森山さんの 動物を模倣することを目指した機械 という見方も同じ.理由は次の2つ:

  1. 一言で「生物,ないし動物を模倣する」と言ってもAIBOのように犬や子ライオンなどを模倣してはいるがあくまでロボットを目指す方向と,パロネコロアクトロイドなどのように見た目だけでも本物の動物に近づけるような方向とがあると思われるのだが,そこまで突っ込んだ考察がなされていないのが惜しいところである.以前アクトロイドについての反応でも書いたのだが,やはり「動物を模倣してはいるがあくまでロボットはロボット」というスタンスの方が期待がもてる.

  2. さらに,そもそも人工物における「生物らしさ」はどこから生まれるのか,という問題も絡む.ヒトの形をしたロボットであれ,ただの箱であるコンピュータであれ,その振る舞いの違いはあれど人間はある手がかりをもとに,ある種の「生物らしさ」を見いだしてしまうことは数々のSRCT研究が示す通り.場合によっては,ロボットの設計者の意図しないところでロボットの「生物らしさ」がロボットを見た人間に知覚されることもある.

こういった議論に対して,ロボットの研究者もAIの研究者もいままであまりにも無頓着過ぎではなかっただろうか? ただなんとなく人工物の「生物らしさ」なるものを思いついて,なんとなく「生物らしい」人工物を設計しているだけのように思える.確かに一般の方々にもわかりやすく研究の話を伝えることは必要だが,それは必ずしも 単純に することで達成されることではないだろう.ここで挙げた2つの論点についても,一般人との認識との食い違いは大きくはないと考えられるため,説明のしかた次第で十分理解できる議論だと思う.

BibTeX Entry

@article{sugihara:doraemon,
author     = "杉原 知道",
yomi       = "Tomomichi Sugihara",
title      = "ドラえもん〜ロボットらしく,ロボットらしくなく",
journal    = "計測と制御",
volume     = 43,
number     = 1,
month      = jan,
year       = 2004}

2004-06-04 (Fri) [長年日記]

_ 没個性化したい時は多いのだがたまにアイデンティティがとれるものがないと困ることがある

鈴木クニエさんのページでご紹介いただく.

私の場合は同じクラスに同姓同名の人間がいたり,学部4年の頃にさらにもう2名ほど同姓同名の学生がいたりしたほどありふれた名前ゆえ,それはそれは困る経験が何度もありました.現に,研究者稼業なんぞを始めてしまうと英語で物書きする際にさらに漢字の情報まで抜け落ちてしまうため,さすがに自分と確認できるものがないとまずかろうということで院に入ってからミドルネームを勝手に名乗っております.あの大学だと洗礼名をミドルネームで使われる方などもおられるので,かえってこういう由緒正しくないことはしにくいのですが.

さて,入試の話.私の代になると随分と入試も様変わりしてしまいました.以下,伝聞だらけの入試の形式の変遷.

  • 昔は2日かけて入試が行われたようだが現在は1日のみ.ただし朝9時から夕方5時くらいまでというかなりタイトなスケジュールである.

  • 昔は全員社会科学と自然科学の学習能力考査を両方受ける必要があったようだが,現在はどちらかを選択(ただし理学科志望者は自然科学のみ).これのおかげで入試が1日に短縮できたと考えられる.人文科学は全員必須.

  • 昔は自然科学学習能力考査は数学・化学・物理・生物の分野をうまくミックスした形の問題が出題されていたが,現在(私が受験した1998年から)はこの4科目が寸断され,うち2科目を選択する形になった.これは学習指導要領の変更によって,かつての「理科I」やら「総合理科」のような科目を履修する高校生が少なくなり,たとえば物理をまったく高校で触れることなく大学入試に臨む受験生などが大多数になったためであろう.おかげで数学を選ぶと数学だけで4択問題がずらりと並ぶという味わい深い入試となっている.ただしそれなりに癖のある問題が出るため,数学は敬遠する受験生が多いようだ.

  • 昔は学習能力考査はまず出題文のみが配られ,その出題文が試験時間の途中で回収されると同時に問題文が配られ,そこから問題を解き始めていたらしい.出題文を読んでいる時間にメモをとってよかったかどうかまではわからない.現在は出題文も問題も試験開始から終了まで受験生の手元にある.

一般能力考査と人文科学と英語は昔も今も変わらず,であろうか.この辺はあまり変わりようがないだろう.

_ 理解してもらおうとするだけでいいのか?

三鷹の母校つながり,もあって薩摩さんの日記Gardener's diaryblog@tsukuba経由で「理科離れ」にプロジェクトX研究者が社会へ踏み出し、理解してもらう努力を始めたいという姿勢については素晴らしいし,研究所の一般公開などの機会が増えるのであれば私も楽しみではあるのだが,単にかけ声だけで終わるどころか逆効果さえあるかも知れないという危惧もある.やはり,単に面白いというだけの研究ではなかなか世の中には伝わらない.生真面目に研究を説明する人間が無視され,いわゆる「みのもんたの脳科学」ばかりに飛びつかれても意味がない.一昨年のノーベル賞の一連の報道をみると,研究の中身まで理解しようとする,そして理解できる人間がどれだけいるのかと考えるとこのような不安が残る.北原先生のような研究者が103人ほど日本におられたら効果があがるのかも知れないが,現実は厳しい.

もうひとつ,ここで個人的な希望を述べれば,ほかの研究者や社会に影響されながら,時にはプロジェクトの一員になって研究に取り組むこともこの先多くなるので,研究におけるチームワークとは何か,ということをその研究者の経験に基づいて将来の研究者候補に語って欲しい.「世間が何と言おうとも俺は俺の研究スタンスを貫く」と語る人間が出てきても結構.そういうスタンスを否定する意味で言うつもりはない.しかし,研究者コミュニティや社会の影響を無視してこれからの研究者像は語れないであろう.そういう世の中になってきている.これはメタサイエンスを中途半端に独学する者からの提案.

_ メディアの制約がインタラクションのあり方を決める:Blogとその周辺について

まず要約:

  • 調査はインタビュー形式.インタビューがとれるよう(筆者の所属する)スタンフォード大学のサイト,ないしスタンフォード大関係のサイトにBlogを開設しているユーザを対象とした.

  • 特徴的な傾向:

    • わざとぼやけた表現を使って読者全体が必ずしも理解できないような内容にする

    • 他者の性急なレスポンスを避けたい時の情報発信にはBlog,綿密な議論が必要と判断された時はIMというようにメディアを使い分ける

    • Blogの内容に対するフィードバックについては,面識のない人からは受け取りたくない人・場合,面識のない人でもどんどんレスポンスして欲しい人・場合など様々

大雑把な内容としてはこういったところだろう.亀田先生の論文の影響が何より大きいのだが,Blogというメディアの制約によってこそ,個々人が他者の意見の食い違いの中で自分の主張を守り抜くことができるのではないかと前々から考えていた.TrackBackもそういった制約によって自分の主張が守られている中で,ある相手のBlogへの言及をしやすくしているとみることができる.メディアのもつ制約が適切と思われるインタラクションの形式を決める,ということが顕著に読み取れる.ほとんどのこの手の研究がインタラクションそのものにのみ着目している中で,興味深い.

似たような現象はWikiでも見られるだろう.たとえばコメント欄がもつ制約とページ自体の新設や書き換えがもつ制約を考えてみると,コメント欄は手早く情報が書き込めるが,書き込める情報量に制限がある.反面,ページの新設や書き換えは書き込める情報量は増えるものの送る情報のコストが高かったり,そのWikiのサイトにコミットする形で情報を発信せねばならなかったりといった制約があるので書き込みにくい.このような制約がWikiの利用者層を「周辺的な利用者」と「クリティカルな利用者」の層に分け,情報のやりとりを円滑にしていると考えられる.

ただ,インタビューによる情報収集ゆえこれらの考察にも限界もある.「わざとぼやけた表現を使う」という現象について,表現はぼやけさせながらも「自分の身近な人にはわかるような表現にしている」という考察をしているのだが,そこまで自分の情報の受け手を意識して書くのだろうかという疑問はある.SRCTの知見から考えると,ユーザが目の前のBlogツールを意識して語りかけている可能性もある(こんな要領で).この辺の解釈はインフォーマントの内省に頼ってもわからないので,たとえば実験で確かめるなどのアプローチが必要だろう.

BibTeX Entry

@inproceedings{gumbrecht:blog,
author    = "Michelle Gumbrecht",
title     = "Blogs as ``Protected Space''",
booktitle = "WWW 2004 Workshop on the Weblogging Ecosystem: Aggregation, Analysis and Dynamics",
address   = "New York",
month     = may,
year      = 2004}

2004-06-05 (Sat) [長年日記]

_ blogについてのblogは不毛か?

2004-06-05のカモだよりより.手段の目的化ほどつまらない話はないわけで,もっともなご指摘である.ただ最後のテレビの喩えで言うならブラウン管より業界の内輪ウケ話の方が対応しそうな気がする……もう1980年代くらいに内輪ウケで番組を作ることが成り立ってしまっていますな.

私の現在の研究室の仕事については,あるユーザの欲しい情報をもっと簡単に手に入れるために,メタ情報とその関係(オントロジー)という「裸に近い情報」をできるだけ楽に個々人が提供できるようなツールとしてblogを捉えていると個人的には解釈しているので,「メタな」blogについてのblogだから不毛ではないですよ,という話を私以外のメンバーが始める,に3000点.書きたい情報もなしに日々の記録を書くのは読む側も書く側も苦痛でしかないわけで,blogについてのblogやらうなづき系blogやらは「やめてくれ」と声高に言わずとも淘汰されそうな気がする.

_ 開き直ってまた閉じる

HTMLウゼー.LaTeX憎しのお気持ちもわかるのだが,おそらくHTMLの<と>の元をたどればSGMLにたどりつくし(SGMLのもととなったGMLでさえ「開き括弧( : )」と「閉じ括弧( . )」が存在する! SGMLが制定されるまではGMLの規格も流動的であったが,開き括弧と閉じ括弧の概念だけは記号は変われどずっと生きていた模様である),また閉じタグを必ず付けねばならないというのはXMLへの対応を見据えてのことと考えられるのでこの件についてはLaTeXとほぼ無関係であろう.XMLにしても閉じタグ必須にした要因は計算機側の処理の容易さであるからこれもLaTeXの影響というよりも,つぶしのきくマークアップ言語として言語を設計する以上は避けられないのではないか.厳密なマークアップが煩雑ならばchalow(ChangeLogメモ)やらRDやらWikiやらとオルタナティヴはいろいろあるので,それで文書を記述した上でWebに載せる場合はHTMLに変換すればよい,という話になるのではないか(WikiフォーマットをオフラインでHTML変換できるツールは知らないが,探せばあるかも知れない).私は別に素でXHTMLに付き合うのはやぶさかではないが(どこかでしくじっている可能性もなくはないが).

ちなみにSGMLがISO 8879として制定されたのは1986年,LamportがLaTeX: A Document Preparation Systemを出版したのも1986年である.

最上さん絡みでLaTeXの話が出てきたので,ついでにLaTeXのリファクタリング案について指摘:

  • PSNFSSのおかげで現状ですでに既存のフォント*1への置き換えはパッケージの読み込み1つで簡単にできるようになっている*2.これで間に合わせるなら改めて数式のフォントを作る必要もないし,Computer Modernで満足ならばそれで十分なのではないか.

  • すでにTeXソースから直接PDFを生成するpdfTeXが存在する.ただし日本語は未対応であるが.

  • 処理系の工夫は現状の延長としてラッパーなり統合ツールなりをうまく作り込めば対処できる問題.スタイルファイル(LaTeX2e流にいえばクラスファイルとパッケージ)についてもPerlで言うところのCPANモジュールのような管理ツールがあればよい(でも「CTANモジュール」のような管理ツールは個人的には欲しいかも,特にフォントが絡むパッケージのインストールがぐっと楽になる).

  • いずれにせよ,TeXのリファクタリングがいかに大変かはバッドノウハウと TeX と書籍組版あたりを読んで悟られたい.

*1 Times,Palatinoなどのよくあるフォントであればほぼ使える.最近私はUtopiaを利用している.ただしジャーナル投稿時はこの限りではない.

*2 参考:松本隆太郎さんのページ

_ そういえば

カウンタが2×104を回った.みなさまに多謝.

_ どのような擬人化インタフェースがよいのか?

たださんのところでとりあげていただきました(書き忘れましたが,件の冴子先生のページははてなダイアリーキーワード経由です)し,SIG-HIの方でも擬人化インタフェースに関するパネルがあるようですし,ここでひとつ「どのような擬人化インタフェースがよいのか?」についての試論を展開したいと思います.ちなみにSIG-HIのハナはすずかけ台の先輩のご発表です.

まず前提.「擬人化インタフェースは普及するか? 役に立つのか?」という問いの立て方をしても不毛な議論しか期待できません.まず問いを立てるなら「どのような擬人化インタフェースがよいのか?」です.Media EquationのChapter 3の「キャラクターのキャスティング」に関する主張を叩き台にしています.

エージェントの効果をみる実験結果の例

まず上のグラフの説明.まず陳腐な例で.たとえば当たり障りのない「赤と黒,あなたはどっちの色が好き?」「4と8,あなたはどっちの数字が好き?」くらいの2択の質問をしてくるエージェントがいるとしましょう.ユーザはこの質問に答えますが,これに対して行動Aでは「あーわたしもそれ大好き」と同調し,行動Bでは「わたしは別の方がいいな」と答えることにします.これについて {行動A, 行動B} を被験者間要因(つまり,実験参加者はいずれかの行動をとるエージェントしか相手にしない)とする実験計画を立て,「このエージェントが気に入りましたか?」といった類の質問に10段階評価くらいで参加者が答えるとします.で,各条件ごとに平均をとってこのグラフのような結果が得られ,素直に t 検定をして有意差がみられてめでたし,めでたし,という結果が出たとします.非常に大雑把な実験計画ですが竹内さんらの研究*1などから考えても,実際に行動Aをとるエージェントの方がユーザにいい印象を与えるでしょう.

このような話をすると必ず「じゃあエージェントなしの条件だとどうなのよ?」というツッコミを入れる方が現れます.私はこういう場合,「アプリケーションによってエージェントの応用がうまくいく場合とそうでない場合があるので,いきなり比較するのはフェアじゃない」として,「まずこのようなエージェントの行動の設計指針が洗い出せない限り,いきなり応用例で比較するのは意味がなさ過ぎる」と反論するわけです.いくら慎重にエージェントの行動設計をしたところで,Officeアシスタントのようにいきなりヘルプボタンを押して出てこられたら迷惑この上ない.だいたいOffice関連のアプリケーションを立ち上げるのは仕事に追われている場面だし,ヘルプを押すのはそんな状況でアプリケーションの使い方がわからないという切羽詰まった場面なのだから,そんな場面でアシスタントがしゃしゃり出てこられたら誰だってキレるのは当たり前です.

ですが,この例1つでもって「擬人化インタフェースは普及しない」とバッサリ斬って捨てられてはたまったものではありません.それどころか実際に普及しているわけですから.立派な擬人化インタフェースがあるじゃないですか.違います?

私が以上の話から考えるに,現在の擬人化インタフェースの問題点はこんなところでしょう:

  • 動きのあるインタフェースは,時にユーザを苛立たせます.下手な応用をするとどうしてもインタフェースの緩慢な動きが気になってしまうでしょう.n コマ漫画的,ないし紙芝居的に動くようなものの方が現状では実用的なことが多いかも知れません.

  • 音声も同様の理由で気になることがあるでしょう.さらに,動きのあるインタフェースと組み合わせる場合は,音声との同期がうまくいくかどうかも問題になりますし,モダリティの食い違い(音声出力に対してユーザは音声で反応した方が自然)も解消しなくてはなりません.音声が絡むことで,一気に問題は難しくなります.

  • そして何より,ユーザがどのようなモードで計算機に接しているかも重要なファクターです.たとえばワープロなどに接している場合はとにかく円滑に仕事が進んで欲しいわけですから,どちらかというと「主人と召使い」というモデルに近い形でインタフェースの設計が必要でしょう.とにかく黙々と,淡々と仕事をこなすパートナーが求められると考えられます.しかし,インフォーマルなインタラクションが求められる場では,多様なユーザと計算機の関係が考えられるはずです.前者のような関係ばかりでインタフェースの設計を考えても擬人化インタフェースの可能性は見えてきません.いま一度,自分の周りのユーザが人工物とどういったインタラクションをしているか見つめ直すと新たな発見があるかも知れません.

*1 参考文献:竹内勇剛,片桐恭弘.ユーザの社会性に基づくエージェントに対する同調反応の誘発.情報処理学会論文誌,Vol. 41,No. 5,pp. 1257--1266,2000.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ Love tec lab. [遅くなっちゃいました。うーーん。 まず、擬人化インタフェースの役割は複雑で、一刀両断にあっさりと結論を出すことは、た..]


2004-06-06 (Sun) [長年日記]

_ 日々は同じことの繰り返しなのか

最近,昔自分の書いた話がそのままSimilarity Searchで引っかかることが多い(極めつけLove tec lab.さんのところはともかくとして).確かに同じ主張の繰り返しがここ最近続いているのでそうなることもやむなしなのだが,困った.気分を変えねば.

_ メモ:音声入力インタフェース

やはり音声でインタフェースのモダリティの一致を図るには,パラ言語情報の活用が鍵となりそう.ただ五十嵐さんにしても後藤さんの音声シフトにしても,作業のコンテクストの中で不自然な発声が必要になるシステム側からあるコマンドを強要される点がどうも引っ掛かる.これに対して小松さんの方法だと,ユーザとマシンが相互適応的に音声のコマンドを決める形になるのでより自然な形にはなるユーザがコマンドの決定に介入する余地がある.問題は,ユーザがマシン(人工物)に話しかけるという行為そのものの自然さとは何かがまだよくわかっていない点にある.

_ 心理屋からみた情報検索システムの評価方法の疑問

この手のシステムの評価は,テストコレクションという検索対象の文書集合を集め,検索要求の可能な限り明確な言語化を含め検索質問を作り,ヒットした文書の適合/不適合を評価していく形でよくやられる.適合/不適合の評価はいくら検索要求を明確に言語化するとはいえ,検索質問を作った人間でないと判断の難しい文書が多く含まれるため,その検索質問を作った人間が原則すべての文書の適合/不適合の判定を行う形をとることも多い(やむを得ないケースの場合は別).

しかし,ここで適合/不適合を評価する文書の数が104から105というオーダーに達したり(Webなどの一般的な文書の場合),高度な適合判定を要する専門文書の検索の場合だと少ない文書数でもかなりの負担になったりする.実験心理を学んだ人間だったら,よくもこんな判定者の疲労によるノイズが乗りまくったデータを信頼できるな,と思ってしまうだろう.負担にならない程度のヒットした文書をサンプリングして,そこから推定する形でうまくいけば,とも思うわけだがそうもいかないケースが多い,というのが情報検索側の人間の言い分になる.

これは典型的な分野の妥当性境界の違いとして捉えることができるだろう.どうもHCIの場合は真面目に考察しようと思う事例がほとんどないのだが,この情報検索システムの評価の問題はもっと注目されてよいと思う.

_ 続々々・エレベータの開閉インタフェース

追加.ここで書いた議論もついでにほぼそのまま移しておいた.

_ 今日の野次馬

自宅の近所を聖火ランナーが通るということで見る.三軒茶屋の交差点あたりでちょうど走者が変わるところであった.単なる祭り騒ぎ以上の感想はない.そういえば自宅の近所はここ何年か24時間テレビのマラソンのコースにもなっているようだ.

_ ヒューリスティックスそのものの模索なしにサイエンスは進歩しない

またも最上日記から.さきほどメモを読み返していて,これを書いた時は何となくリンクしただけであったが,いまもう一度読んでみてあることに気づいた.

私の知っている脳科学の研究者の話.この方は日本では数少ない計算神経科学というモデル寄りの分野を手がけておられる.モデル屋ゆえに最上さん寄りの方かと思いきや,実は最上さんの言葉で言えば 脳科学プロパー 的なスタンスで研究を進めておられるのである.私は一応学部→修士とメインはインタフェースの研究ながら研究室のメインとしては機械学習を看板に掲げているところにいたので,ある程度機械学習についてはかじっているのだが,その視点からみてもこのような研究スタンスは解の全探索をやっているような気分にさせられる.(AI的な意味での)ヒューリスティックスを導入して手数を減らす方法はあるだろうに,なぜそのような効率の悪い方法をとるのだろうというのは最上さんのような物理出身者でなくとも感じるであろう.

ちなみに以前この方相手に私の研究について話す機会があったのだが,「そんな当たり前の結果で満足していいと思っているのか」と手厳しいお言葉をいただいた上に,私がただでさえ仕事が遅い性分ゆえグズグズと研究を進めたくない,という意味で「これからは要領よく研究を進めてもっと素晴らしい結果を出そうと思います」と言ったのを勘違いされて「要領よくやるというのはずるいことだ,地道にコツコツ努力することが科学の本質だ」と激怒された.研究者の倫理にもとる行為がまずいことくらい,これから研究で飯を食おうとする人間だったらわきまえていて当然だろう.むしろヒューリスティックスの模索なしに複雑な問題に力ずくで立ち向かうのは,サイエンス全体としてみてもあまりに非生産的ではないのかとさえ思う.私はこの手の「努力の質が何であれ,努力さえしていればいつかは報われる」という考えを「プロジェクトX気質」と呼んでいるが,脳科学プロパー な方々は実はこういった考えに支配されているのではなかろうか.案外この価値観の差が分野の衝突の要因になっているかも知れない.

_ 価値観のつぶし合いを避ける手段

世代で語るのも悪くない.「プライマリーペルソナ」という視点で考えれば,このような「ミクロ」と「マクロ」の視点の使い分けを意識しなくてもよくなるのでは,と思ったのだが.ひろゆき氏の指摘した世代で語る人にしても個人の価値観が世代の決めつけの根本にあるわけで,ミクロで語ろうがマクロで語ろうが個人の価値観の衝突は起こりうる.プライマリーペルソナの方法論に則って素でペルソナを決めようと議論を始めても,個人の価値観の衝突は避けられないであろう.要は個々人のつぶし合いにならないような意見の集約のしかたを確立することが重要なわけだ.

こうしてあらぬ方向へ話は脱線してゆくわけだ.

もうひとつNDO::Weblog経由でBLOGのゴスペル.組織の名のもとでの発言の自由がどこまで保証できるか,という話だが,これはこれで複雑な事情がある.難しいところだ.ちなみに私は普段インタラクションの制約があるのがblogの強みと主張しているが,このような現実世界の影響による発言の制約は含まれていない.むしろ,そういう制約は問題になることが多いだろう.あくまでインタフェースの制約である.実はそのようなインタフェースの制約こそが,個々人のつぶし合いにならないような意見の集約のしかたを確立することにつながるのではないかということであえて続けて同じセクションで書いてみた.


2004-06-07 (Mon) [長年日記]

_ 時間がない

土日で片付けたかった仕事が今日に回ってしまった.

今日からスレタイセクション1つ目のタイトルのウケ狙いは中止.

_ 図書館の本の管理がうまくいかない

大岡山で借りっぱなしの本があることにいま気がつく.博士進学後にまたWebでの貸出状況をチェックするためのアカウントを作り直さねばならないのだが,手続きしたにもかかわらずうまくいかない.これが返却忘れの原因だった.本当に使えないな東工大の図書館は.もうしばらく使うのをやめたい(いずれにせよおそらく1ヶ月ほど使えないわけだが,こういう事態が続くとなると精神衛生上よろしくないので).ひとまず大岡山図書館に苦情電話.まだ目黒や世田谷の図書館の方がWebサービスがまともに機能している(目黒はサーバがやたら重いのが難点だが).本郷や日比谷図書館を使う手もあるだろうし.母校の図書館に年会費3000円を払って使う手もあるが,あそこは本を借りる用事はほとんどないので意味はないか.遠いし.下手をすると延滞料金もとられるし(卒業生の場合はどういうルールになるかわからないが).

_ これはいい,今度ノートをとる時に使ってみるか

FreeMind.どこぞのページで見つけたのだが失念.思えば学部1年くらいの頃はこのようなマップですべて手書きのノートをとっていた.PC上で使えるフリーなツールがあれば,と前々から思っていたがこれでいけそう.ちょっとこれでノートをとる練習をしてみるか.

マップの書き方の参考書.タイトルが何とも,なところがあるがよくできている.Buzanの日本語訳の本としてはこれ以外不要であろう.

_ 二郎を「にろう」と読む例

など,案外多い


2004-06-08 (Tue) [長年日記]

_ 最近文体が荒れている

記述量が増え過ぎているせいだろう.今週はやることも多いので簡潔な記述を心がけよう.

_ LaTeXにみる世代間の断絶

最上さんにご紹介いただく*1

さて,この件で改めてLaTeXユーザの中のニュータイプという存在のマイノリティぶりを思い知ることとなった.そもそもニュータイプであればとっくに「LaTeXは終わった」と思い込んで見向きもしないのかも知れない.ここでLaTeXにおけるオールドタイプ・ニュータイプについて高林さんを真似て特徴の列挙を試みようと思う.基本思想は高林さんに同じく,オールドタイプ・ニュータイプ両者のよい点を学ぶことを目的とする.これもペルソナの構成に一役買えるかと思ったが,やはり特に個人でこういった特徴を書いてしまうと単なる決めつけレベルで終わってしまい,かえってステレオタイプの形成の助長にもなりかねないのでコメントのある方は是非.なお,和文文書の処理を前提としている.

特徴オールドタイプニュータイプ
処理系LaTeX2.09(と使う本人は思い込んでいるが実際はLaTeX2eの2.09互換モードなこともある?)使いはじめの頃からLaTeX2e(Omega使ってみたいかも)
コメントを除く.texファイルの1行目\documentstyle[%
a4j,その他スタイル]{jarticle}
\documentclass{jsarticle}
セクション番号のフォント\rmfamily\bfseriesでないと落ち着かない\sffamilyの方が和文ゴシックと相性がよいと思うが何でもいい
ベクタ型の図は何で書くかpicture環境Illustratorなど適当なドローツール
外部ファイルの図の読み込み用パッケージepsfなどgraphicx
LaTeX文書の印刷手順dvips(下手をするとdvi2ps)でPS変換,GSViewないしGhostViewgvでプレビューdvipdfmxでPDF変換,Acrobatなどでプレビュー
外部の画像ファイルのフォーマットEPSのみ(dvioutユーザは除く)ビットマップはJPEGかPNG,ベクタはPDF
フォントの選択Computer Modern以外に何がある? 和文フォントなんて選べるの? (dvioutユーザは除く)欧文は場合と気分に応じて自由に選ぶ,和文もotfパッケージなどで多書体化
ディスプレイ型数式環境$$<数式>$$,equationeqnarrayで完結amsmathパッケージフル活用
自然数/整数/有理数/実数/複素数の集合の書き方\bf{N}/\bf{Z}/\bf{Q}/\bf{R}/\bf{C} など(代数学のご年配の先生となるとフォントを変えることすらしないこともある)\mathbb{N}/\mathbb{Z}/\mathbb{Q}/ \mathbb{R}/\mathbb{C}
既存のマクロで間に合わない時は?自分でマクロを書く,他人のマクロを使うなんて軟弱なことはしない必要なパッケージはどんどん借りて読み込む

だいたいこんなところだろうか.エディタや入力支援に何を使うか,などは両者の中でもさらにばらつくので飛ばす.またUNIXとかぶるネタも多いのでここでは書かなかったものも多い.個人的には,これからLaTeXを使おうとする人にはトラブルにはまりにくくなるという理由でニュータイプな方法をすすめているが,周りにオールドタイプしかいないせいもあってなかなか浸透しない.

また,組版目的のplain TeXユーザについても省略.

*1 そういえば「手動トラックバック」というフレーズをみて telnet TrackBack_ping_URL 80 でTrackBack ping(こういう感じ)を直打ちする様子を思い浮かべてしまいました.

_ いまWebページの作り方を教えるとすると何がベストか?

さて,ここ最近の傾向からしてXMLがこれだけmachine-readableなフォーマットとして存在し,ユーザはラッパーを介してuser-friendlyなフォーマットで文書を書くという習慣が増えると,たとえば「大学でWebページをつくる実習を行うとなるとどうすればいいの?」という話になってくるのかも知れない.個人的には何だかんだ言ってHTML 4.01,ないしXHTML 1.0のStrictで書いて,見た目はCSSでいじる形で教えるのがいまのところ妥当に思えるし,HTMLでの文書構造のマークアップをしっかりやることが必然的にいい意味でSEOにもつながるなど,メリットも多いだろう.

_ 性懲りもなくエレベータの開閉インタフェース

追記


2004-06-09 (Wed) [長年日記]

_ 朝からサーバ管理ではまる

管理を任されている某サーバ(Redhat 9)の /var/lib/rpm/Packages が壊れてしまった.rootで cd /var/lib/rpm ; db_recover としても

db_recover: unable to join the environment

で回復できない.参った.

昼頃もう一度トライすると無事 /var/lib/rpm/Packages は生き返った.やっぱり /var/lib/rpm 下のバックアップは重要だ.だがこれから入れなくてはならないパッケージの山を考えるとまだまだ先は長い.さっさとやらねば.

_ 今日は時間切れ

ということで午前中でさくっと終わると甘く見ていたサーバのセットアップが何と1日かけても終わらないという事態に.やはり経験不足が何よりの敗因であろう.明日のミーティングはどうするんだ.ネタは作ればあるのだが,余裕がない.ひとまず戻りの車内で来週投稿予定の論文の修正.仕事がたまってきている.

各種反応の類は明日の夜以降に.

_ tDiary更新通知プラグイン

最近Bulkfeedsの自動クローリングが遅く,RSSの内容の検索への反映がここの内容の更新に全然追いついていない(クロール対象が急増しているので仕方がないのだが)状況だったので,ちょうどタイミングがよかった.早速導入.感謝.


2004-06-10 (Thu) [長年日記]

_ ターゲットユーザと目線を合わせていいのか?

「Windowsのユーザビリティの問題を体感したいからあえて普段の研究でもWindowsを使う」という研究者の話を聞く.これはインタフェースの問題を追求する観点からすると,半分正しくて半分間違いではなかろうか.自身でユーザビリティの問題を体感すること自体はもちろん重要なのだが,やはり,自身は自身で独自のユーザビリティ観をもち,そのユーザビリティ観に見合ったアプリケーションを普段は使う方がよく,たとえばWindowsのユーザビリティの問題点を知りたい,というのであればWindowsユーザに「弟子入り」し,問題点を淡々と訊き出す方が得られるものが多いと思う.

_ 準備不足

昨日悠々とミーティングの準備をする予定だったが,某サーバの仕事で丸1日つぶしてしまい立ち直れないまま行きの電車の中で話す内容をまとめる.

それにしてもどうしよう.一般論として人間同士の合意形成を下手に導入すると研究の方向を見失いかねないし,共同研究の方々としても本意ではなかろう.次のミーティングまでに考え直さねば.


2004-06-11 (Fri) [長年日記]

_ どうもこの手の本を読み出すと止まらない性質の人間らしい

The R book:データ解析環境Rの活用事例集』を読み込み中.ツール1つを軸にいくつものケーススタディを知ることができ,興味深い.いまのところ日本語のRの本はほかにも『Rによる統計解析の基礎』と『工学のためのデータサイエンス入門:フリーな統計環境Rを用いたデータ解析』があるが,これらはいずれも本の内容の目指すところが微妙に違うので,Rユーザはすべて読んだ方がよいかも知れない.個人的にはRのグラフィック周りの解説をしっかりやるだけでそれなりの本が1冊書ける気がするし,欲しいのだが.少なくとも私の周りではRのグラフ出力の機能は思ったほど知られていないし,私自身もまとまった情報が欲しいと思っているので.

問題は,今後Rを研究で使う機会がどの程度出てくるかという点にある.統計が絡むことがあれば間違いなく出番があるのだが.

_ 各所の反応をまとめて書きたいが

今日も時間がとれるかわからない.今晩余裕があれば書きます.

_ やはり余裕がない

各所の反応は明日未明に書きたい.かなり手元のネタ帳にたまってきている.

修論のネタで国際会議にて発表することになったのでこの週末は余韻に浸らせてもらおう.それにしてもRegular Paperで強気に出して通ったのはでかい.


2004-06-12 (Sat) [長年日記]

_ 最近メモし忘れるとどうにも思い出せないことが多くて困る

そういえば進化心理学の本でチェックしようとした本があったな,と思い出そうにもタイトルが浮かばない.どこのページに書かれていたか,と必死で巡回先を探し回ってようやく森山さんの日記を見て思い出すSRCTにおける「『なぜ』人はコンピュータを人間として扱うか」*1に関わる話なので,読んでおきたい.

*1 Media Equationの邦題の「なぜ」は変.原書の副題は"How"で始まっているし,Whyに関わる話はChapter 1にしか触れられていない.ちなみに仮の邦題がAlan Cooperの本の表紙カバーに出ているのだが,『The Media Equation:ひとはなぜコンピュータに名前をつけたがるか』となっている.この仮題の「なぜ」に引きずられて,そのまま「なぜ」が本題に残ってしまったのかも知れない.

_ それにしても secnumdepth 知られてなさ杉

今日のTeX Q & Aでも回答したが(質問された方のお望み通りかはわからないが),セクション番号を消したくて \section* を使いたいとLaTeXユーザが思う場面の9割方はプリアンブルに

\setcounter{secnumdepth}{0}

と書いておいて,本文では * なしの \section を使えば済む話だと思う.「すべての節のセクション番号を消したい」というケースがほとんどで,部分的に消したいというケースは結構少ない気がするのだがいかがだろうか.

_ BibTeXでURLはどのフィールドに書くか?

TeXつながりでもうひとつ.少し前にmputさんネット上の文献(というか実は FTP サイトに置いてあるソースコード)を \cite したい という話題に触れられていた.どのフィールドにURLを入れるかは人によっていろいろ流儀がありそう.もちろん投稿論文などでフォーマットが決まっている場合はそちらを優先するが,この点についてうるさく言われている例はあまり聞かない(社会科学系の論文なら言われることもあるかも).私なら @misc を選んで URLは note(その他出力したいものを書くフィールド)に書く.さらに丁寧にやるなら,howpublished には "Source code available via FTP server" とでも書いて,note にはURLとともに最後にその文書にアクセスできた日付を書く.いくら情報のアクセシビリティのためにもPermalinkが重要という認識が広がっているとはいえ,いつその文書が手に入らなくなるかわからないこともあるため,書いた方がよいかも知れない.書くからには丁稚上げはいけないが.洋モノのBibTeXスタイルには url フィールドがあるものもある.

その他Tipsとしては,URLはやはり url パッケージで書くのが便利.詳細は以前触れた通り

_ インタフェース研究は「予防の科学」

津村さんの「組織の人のblog」という話題.関係ないと思いますが,見た目と外部の「実質の」指導教官と共同という形態で研究を進めているせいもあり,よく初対面の人に「先生」と呼ばれることがあります.渋いテーマに興味を持ってらっしゃいますね というお話に反応したまでですが.

閑話休題.まず,なぜこの話題に興味があるかについて考えると,私の研究のモチベーションに関わる話になるので,現在に至るまでのことを書いてみる.そもそもインタフェースの研究を志したのは大学1年か2年くらいだと思う.まだ学部の授業の消化に必死になっていた頃のことで,いつ頃からこの手の研究にのめり込むようになったかはよく覚えていない.ただこれだけは言えるが,ひとつのきっかけになったのは『ヒューマン・エラー:誤りからみる人と社会の深層』という本.この本と,定番書だが『誰のためのデザイン?』のおかげで「予防の科学」としてインタフェース研究について考えるきっかけができた.こういう形でインタフェース研究に出会えたことについては非常に幸運だと思っている.そうでもしなければ研究の方向性も見いだせずに路頭に迷っていたであろうから.逆に「予防」という視点から「組織の人のblog」を眺めると,何が問題なのか,その問題をどのように解決すれば幸せなのか,というのがだんだんと見えてくるわけだ.

ここでもひとつ注意せねばなるまい.最近「予防」という視点が欠けた形で「ヒューマン・エラー」という用語が濫用されることがあるようだ.去年の某学会でもこの点について厳重注意があったので,改めてここでも書くと「ヒューマン・エラー」を語る時は「人はなぜ誤りを犯すのか」という視点と同時に「いかに人の誤りを未然に防ぐか」という視点も持ち合わせていなくては意味をもたない.問題は人をエラーに導く人工物の設計にあるのだから,人工物の設計指針のサジェスチョンまで含めて議論する必要がある.

_ 良いblog・悪いblog・普通のblog

Moleskin Diaryに反応.

コピペblogという言葉でも作ろうかね.

まじめな話をすると,その他大勢的じゃないユニークな情報を検索するサービスというのも求められているんじゃないかと思う.

blogに限って言えば,blogのエントリの内容をsimilarityというか類似性でまとめてしまって似たような意見は十把一絡げであつかうとか.

私の場合はニッチな情報ばかりを追いかける性癖があるのと,もともとある種のあきらめがあるからかあまりblogをノイズ扱いする機会がない気がするが,お気持ちはよくわかる.

情報のオーダーに比してマシンパワーがもたないかも知れないが,いくつか似たようなことを思いついた(ほとんど車輪の再発明レベルなので,「いまうちでサービスやってる!」という方は差し支えなければツッコミをどうぞ).

  • コピペblogはご指摘通り,2文書が共有しているワードの積集合をとった上でsimilarityをとればある程度検出可能だろうし,うなづきblogは該当記事のリンク部分や引用部分(これらの切り出しがうまくいくかわからないが)を取り去った長さでもって何とかなりそうな気がする.

  • 個人的には,blogの意見の機械的集約というのはかなり有用そうに思える.ポイントは集約はするのだが,何人がその意見を言っているのかについては示さずに「代表1名」という形でその意見を表してしまうことにある.理由の詳細は亀田先生の論文に譲るが,要するに意見を表明した人数でバイアスのかからないWeb上での議論のためとでも言えばよいだろうか.blogWatcherの評判分析の話を聞く限りでは,ある意見に「ポジティヴ」な態度を示しているか「ネガティヴ」な態度かというレベルなら何とかなりそうな印象があるのだが,いかがだろうか.

どれもヒューリスティックスの山で力ずく,という形になりそうだが結局この手の研究の本質はそこに落ち着いてしまうのだろうか……と書いて思い出したが結局blogでblogについて語ることの不毛さの根源にはこういう問題があるのかも知れない.この不毛さについての議論はDreyfusもしていたがなぜか情報検索系の研究者はこの発言を知らないだけか,黙殺しているように見える.いいのか?

_ どこへ行っても「どのような」という問いはついて回る

コメントありがとうございます.こちらこそ反応が遅くなり申し訳ないです.

ここでまた「どのような」という問いが出てきます.「どのような『状況』を想定しているか,そしてどのような『状況判断』をするのか? どのような『愛』を表現しようとしているか?」という問いに答える必要が出てくるわけです.フレーム問題などを持ち出すまでもなく,状況を絞り切らずにあれこれ考えてもなかなかうまくいくものではないです.私がここ最近「メディアの制約が人と人のインタラクションの形を決める」ということを繰り返し書いていますが,これは「人と人工物のインタラクション」にも当てはまると考えています.すべてに答える必要はありません.自分なりに説得力ある表現がひとつの見方でできれば,まずはそれで十分です.

これは自戒も込めて書きますが,とにかく問題を絞り込むためにはまず何より,ひたすら人を観察する必要があるでしょう.場合によってはフォーマルな形でなくて大丈夫なので弟子になったつもりでインタビューしてもよいでしょう.これらの話は私のお世話になった先生の言葉がもとになっています.私はまだこれらを十分実践できている実感はありませんが.本を読むのも大いに結構ですが,このような観察眼を磨くことも重要です.

_ 余談

愛の話で思い出したが,いまさらながら旧姓川瀬さんの★CANDY POP IN LOVE★の詞は見事だと思う.以前から『ドラえもん』こそ最高のインタフェースの教科書だと思っていたが,この詞にも同じものを感じる.

_ 逆に怖くなってきた

改めて国際会議の採択通知のメールを読み返すが,Regular Paperの採択率16%という数字を見て逆に背筋に寒いものを感じた.こんな場所で発表していいのか? おととい隣の席にて「自分の関わったソフトウェアがこんなに重要なものとは思わなかった」という話を聞いたばかりだが,私の仕事にもそれを感じてしまう.まあ隣の方の凄まじさと比べれば私の仕事など足下にも及ばないのだが.

さらによくよく読んでみれば発表時間は20分.修論発表より長い.何を喋ればよいのやら,というか英語発表だから気がつけば終わってそうだが.いずれにせよこれ以上この話題に触れるのは怖過ぎるので本番までここでは禁句に.本気でこれ以上は勘弁してください.

_ 今日の謝辞と懺悔

いろいろお話に付き合っていただき感謝.その節は(というか以前から)いろいろご迷惑ばかりおかけして申し訳ないです.

_ 「中の人」の認識について

Use of Computer-Based Application in a Pediatric Hemodialysis Unit: A Pilot Study.まだ論文そのものに目を通していないので,このレビューを読んだ限りのコメントとして.この手の研究ではいつも気になる話ではあるのだが,どこまでコンピュータの向こう側の子供の存在感を認知できているのかが気になる.この見方如何ではCMCというよりもHCIではないのか,ということにもなりかねない.つまり,「コンピュータの『中の人』」との対話というよりも「コンピュータそのもの」との対話になっているかも知れないということ.もし画面の中の話し相手に対して生身の人間とは違うレスポンスを返すような行動が見られるとしたら考えておくべき問題が出てくるように思える.アプリケーションとしては興味深いのだが,そこが気になる.

毎度のことながら.CMCによって何を伝えることができるかという視点よりも,何が伝えられない,ないしは伝えにくいことが重要なのかという見方をした方が得るものがあるように思える.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ Love tec lab. [予防の科学という視点かー。 ヒューマンエラーという言葉だと確かにこの辺がこぼれがちですね。言葉だけでもこっちを使った..]


2004-06-13 (Sun) [長年日記]

_ これですよ,これが欲しかったのですよtDiaryのRSS生成プラグイン

たださんが作成中.激しく期待.

_ ほぼ吐き尽くしたか

あと1,2個ほどあるが1つは書評が絡むのでそれを踏まえてからにしたい.もう1つは機会をみて.しばらくはおとなしく暮らしたい.


2004-06-14 (Mon) [長年日記]

_ ユーザビリティとアクセシビリティは区別できるものなのか?

あえてこの2つについて同時にとりあげたのは,実はユーザビリティの問題としてインタフェースの設計者が捉えているものの多くが実際のところはアクセシビリティの問題になってはいないか,という疑問が浮かんできたからである.つまり,設計者側としては「使いにくいけどまあ慣れてくればどうにかなるだろ」と思っているものがユーザとしては「こんなもの使ってられるか,いらね」と言って捨ててしまうケースも多い気がする.だから 中程度の障害 も侮れないという話だと個人的には考えている.操作デザインの向上は機能などよりもないがしろにされやすい,というご指摘はもっともだが,機能などについて代替可能な製品という選択肢があればそちらを選ぶように思える.

私は「ユーザビリティの向上は金にならない」という意見をふっかける人間が出てきたら,「ユーザビリティは製品が人に接する時の礼儀作法であり,マナーである」という反論をしようかと考えている.理由はいたって単純で,「他者のマナーの悪さ」も「製品のユーザビリティの問題」も受け手にとっては相手に対する悪い印象を引き起こすし,場合によっては製品を見捨てることにもなりかねないから.ユーザビリティの問題が少なければ製品の作り手が謝る回数も減るであろう.会社の新人研修で礼儀作法やビジネスマナーについてはみっちり(というほどでもないか?)教え込むのに,製品が人に接する時のマナーについてはあまり考えられていないというのはやはり納得がいかない.

追記:いま『コンピュータは,むずかしすぎて使えない!』を読み返してみたらCooperもコンピュータの礼儀について似たような主張をしていた.しかも根拠として挙げているのはMedia Equation*1であった.しかし私の主張は少し違うところにある.下手に人間の礼儀のパラダイムを実装しようとすると「動かなくて申し訳ありません」と謝るだけのOfficeアシスタントのようなものが現れかねない.

*1 山形浩生氏もMedia Equationを『メディアの等式』と訳しておられる.これがこの訳の元祖? ちなみにこの手の日本語論文ではアルファベットでそのままMedia Equationと書くことが多い.メディアの擬人化という訳もあるにはあるのだが.

_ 現在時刻を挿入できるtDiaryプラグインinputtime.rb

これは便利.insタグやdelタグのdatetime属性に時刻を埋め込む時にどうしようかと思っていたが,これで何とかなりそう.ありがたく使わせていただきます.私は現行のインタフェースでほぼ十分なので.

気になる点:

  • 最初に時刻フォーマットの設定をしないと編集画面移行時にエラーが出てしまいます.デフォルトの時刻設定を入れておけば解決すると思われるので,たとえば

    diff -u inputtime.rb.orig inputtime.rb
    --- inputtime.rb.orig   2004-06-14 21:07:25.000000000 +0900
    +++ inputtime.rb        2004-06-14 21:07:59.000000000 +0900
    @@ -19,7 +19,7 @@
         time_edit_proc
     end
     def time_edit_proc
    -   val = @conf['time.format']
    +   val = @conf['time.format'] || 'H:i:s'
        e_val = CGI.escapeHTML(val)
             ret = ''
        ret << %Q[
    

    とした方がよいかも知れません.加えて,「現在時刻挿入」ボタンの横にでも現在の時刻フォーマットの表示があってもいいかも,と思っています.

  • Windows版Firefox 0.8とIE6で動作確認.「現在時刻挿入」を押すと,フォームの最後に時刻が挿入される形になります.

ちなみにW3CDTFに準拠したければ,日本時間の場合は Y-m-dTH:i:s+09:00 と書けばよい.


2004-06-15 (Tue) [長年日記]

_ 当サイトのRSSご利用のみなさまへ

毎度ありがとうございます.

このたび,tDiaryプラグインを output_rdf.rb から makerss.rb へ移行することに伴い,RSSのURLを http://svslab.jp/0x0a/index.rdf へ変更いたします.一応旧ファイル名からのRedirectも付けておきました.

お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします.

_ inputtime.rb更新

早速の対応に感謝です.

_ ようやくGecko対応が進むのか?

ソースは各所,SleipnirLunascapeもGecko対応を進めている模様.どうもIEコンポーネントは信頼できないので,今後Geckoへの置き換えの普及に期待.私はLinuxもWindowsも両方使う関係でFirefoxが手離せないのだが.

個人的にはGeckoベースの3ペインなRSSリーダーが欲しい.glucoseがGecko対応したら速攻で使うのだが(開発の方々がそれどころではなさそうだが).XULFOAFまで対応したやつを作ってみたい気はするのだが,そんな腕と暇があるのか? それができればOS非依存で使えるのでおそろしくありがたいのだが.

_ インタラクションは量を減らすのではなく質を変化させる方略で

音楽の「サビ」を探し出す試聴機/.J経由).以前インタラクション2003で見た時に感じたある種の違和感は何だったのか,ということを考えているうちに,要するに「ユーザとマシンのインタラクションをばっさり切り落とすことは,ユーザにとって幸せなのか?」という問いにたどりついた.確かに/.Jのコメントにも書いたように,サビの概念のある曲に対するアノテーションの自動化という意味ではこの研究の意義はあると思うのだが,その成果が「サビの視覚化」だとか「ボタン1つでサビまで飛べる」だとかになると疑問を禁じ得ない.そういうインタフェースに対するニーズもあるのですべてを否定するつもりはない.だが,曲の長さと操作の労力の対応付けがうまくいくように,たとえばボタンではなくジョグダイアルで早送り・巻戻しができるようになるだけでもかなり違うと思う(いま思い出したが名古屋のHMVかどこかの視聴ブースで使ったことがあるようなないような).私の場合は尺の長い曲を聴くことも多いが,長さの実感がないといまひとつ曲全体のイメージがつかめない,というか音楽を聴いているという気分になれないのが不満.またもやこんなことを考えるのは私だけか?

このような,インタラクションそのものをばっさりと切り捨てるのではなく,むしろインタラクションの量はそのままにある種の質の変化を目指す方がいいケースは多いだろう.

_ 言いっぱなしはまずい

最近批判しっぱなしで代替案を出さないために痛い目に遭うことがそれなりにある.気をつけねば.

_ RandomNoteの新バージョン

そのうちまたtDiaryテーマと mod_rewrite に対応させる予定.パッチだけ出した方がよいかも知れないが,Windowsユーザがきついか?

_ 単に気味悪がっているだけでは得るものはないが

これもソースは各所,ぱど厨になってみる.この話を読んだ限りの感想ということを最初に断っておく.要するに「逆blog」か.blogは自分の言いたいことを自分の場において言い放つことがメインなのに対して,ぱどタウンの掲示板は自分の言いたいことは相手の場で言うことがメインになる(というか相手の場でしか言えないのか?).このような制約の帰結として,特定の相手とのインタラクションばかりが極めて多くなるという状況になるのだろうか.この2つに因果関係があるかどうかはわからないが,相手の場で発言するということは相手に少なからず同調できなくては,という制約が出るので不特定多数との対話は難しくなるかも知れない.SNSが「知人をできるだけ多く作る」ということを指向していると考えれば(すべてのSNSがそう考えているわけでもないと思うが),「逆SNS」という見方もできるかも知れない.いずれにせよひどく極端なシステムという印象が強い.今後より深い考察が必要であろう.

_ 中途半端にやるとはまるRedhat上のPHPとMySQLのインストール

某サーバの不調の原因はPHPからMySQLの呼び出しができなかった点にあった.ln -s /usr/include/mysql /usr/mysql で応急処置をした上でPHPのRPMをリビルドして再インストール.これで無事うまくいった.こんなところでかれこれ10日以上はまっていたのか.甘過ぎる.


2004-06-16 (Wed) [長年日記]

_ もう今日のことは思い出したくない

某サーバのWikiのページが表示されると思ったら新規ページの作成も修正もできない.ユーザのアカウントも作れない.でもって原因がさっぱりわからない.

Firefox 0.9が出たのでアップグレードしたがWindowsの方は調子に乗ってNewsMonsterを試そうと思いインストールしようとして見事に失敗してはまったり(再インストールして修復),Linuxの方はGtk+1.2.2という環境ゆえインストーラが使えないのでソースからコンパイルしようとしてこれまた何度もこけまくるなどうまくいかず.LinuxはFirebirdで通してきていたが,上の原因究明になるかもと思いLiveHTTPHeadersをインストールしたらブラウザが立ち上がらなくなってしまったりしたので,いっそのことブラウザごとアップグレードしようと思ったらはまる.これでほぼ半日つぶれる.そろそろ新しいマシンが来ると思うので,それまでの辛抱.もうVineは当分使いたくない.Fedora coreも微妙なところ.もう少し今後使うOSについては考えたい.FreeBSDに乗り換える手もあるし.

Firefox 0.9のデフォルトテーマが変わってしまい以前と比べていまひとつなものになってしまった.ひとまず方々で好評なCharamelをインストールしてみた.いまのところこれでかなり満足している.

_ 「萌えキャラ」で研究になるか?

反応ありがとうございます*1

2点ほど.別にサーベイと仮説検証さえ妥当な線までやれば「萌えキャラ」でも十分研究対象になるでしょう.ただ,キャラクター(エージェント)の見た目(アピアランス)に比較対象の軸を置くのは難しいので,「萌え」の構成要因は何なのかから切り込むところから始まりそう……とマジレスしてどうするという話ですが(もう誰か手をつけてるかも).もうひとつ メッセージが言葉になってる方がビープ音よりストレスが軽減される という話について.これはいつ頃の研究の話なんでしょうかね? いまのPCの事情を考えればもっと多くの社会的手がかりがユーザとPCのインタラクションの要因になりえます.むしろ言葉が使えるのであれば「どのような言葉遣いの方がよいのか」などという視点で研究する方が得るものは多いでしょう.以前にも書いた通りイルカは出てくるタイミングと振る舞い方に問題が多過ぎるので,たいていの人は消してしまうと思います.

*1 ちなみに「開き直ってまた閉じる」の元ネタは確かいくよくるよのどちらかだった気がする.ただしこの件とはまったく関係のない本だが(ちなみにぐぐってみるとこの本を写したと思しきページが出てくる).

_ 「中の人」の存在が悟られたら終わりです

たとえば遊園地の着ぐるみの中の人が客相手に「実はこのバイト,結構蒸し暑くてしんどい上に時給1200円くらいで……」という話をすることは普通考えられない.だがこのような馬鹿げたシチュエーションが計算機の上となるとしょっちゅう起こるのである.着ぐるみがソフトウェア,「中の人」がプログラマなどと考えてみると,いかにエラーメッセージが見当違いなことを言っているかがわかる.Officeアシスタントに至ってはさきほどのような愚痴をひと通りぶちまけた遊園地の着ぐるみがいきなりパペットを取り出しておもむろに右手にはめ込み,似非腹話術でユーザに話しかけるようなものだ.着ぐるみが着ぐるみの役割を全うするように,ソフトウェアもソフトウェア自身の役割を全うする義務がある.特にSRCTの知見をソフトウェアの設計に応用する場合,最低限このことが完璧に理解できていないとこのような頓珍漢な代物ができあがる.まあこれも要するにユーザの立場に立って考えよという話の延長に過ぎないわけで,別に擬人化インタフェースに限った話ではなくインタフェース設計一般について言えるわけだが.

_ あなたは気付いているか,日本の紙文書の中にじわりじわりとレターサイズが増えつつあることを

レターサイズ:あるいはアメリカの陰謀.昔,安いからという理由でTシャツ作成に使っていたLexmarkのインクジェットプリンタ用布転写用紙はレターサイズであった.それはそうとデフォルトのレターサイズはMS Wordに限った話ではない.Acrobat Distillerも用紙サイズのデフォルトはレターサイズだし,LaTeXも標準の欧文用のクラスだとオプションで a4paper としてやらないとA4で出力されない(デフォルトのオフセットも紙左端,上端から1インチとなっている).そういえば今度の国際会議の原稿はアメリカのIEEE Computer Societyがプロシーディングス関係を仕切るため,用紙サイズは必然的にレターサイズとなる.つくづく,不必要な場面にばかりレターサイズは現れるにもかかわらず,必要な場面に限って引っ込んでしまったり手に入らなかったりするものだと思い知らされる.


2004-06-17 (Thu) [長年日記]

_ やはり使えるRSSリーダが必要

自前アンテナの相当数をはてなダイアリーが占めるようになってきたので,そろそろRSSがあるサイトはアンテナから切り離してRSSリーダで読むようにして,サイトには公開できる範囲でOPMLでも置いておこうかと思う.こういう時に五月雨だと楽だ.単に config.yml の中を egrep -i '(xml|rdf|rss)$'すればほとんどのRSSはつかめてしまう.ひとまずglucoseを使うつもりだが,サイトに公開できるOPMLを置くくらいならRNAを使った方がいいのか?

_ 今日も暇なし

来客.ミーティングは自分の研究の話はパスで研究室内の情報共有について何とかしようや,という話.Wikiでいろいろ(実務に支障をきたさない範囲で)実験を試みたい.

飲み会.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ infomose [29-STYLEの管理人、infomoseです。 この度は私の記事を取り上げて 頂きましてありがとうございます。 ..]


2004-06-18 (Fri) [長年日記]

_ 人を欺く情報技術の計算可能性,説得する情報技術の可能性について

カネゴンさんの指摘が実に鋭い.実際のところベイジアンだろうがニューラルネットだろうがSVMだろうが本質は判別空間を二分するルールの積み重ねに過ぎないし,ルールで記述し切れないものも大量にある.システム側にとっては語り得ないものには沈黙するほかない状況がほとんどである.この限界についてわかっていない研究者は過度に機械学習の力を期待し過ぎ,と前ボスはビール片手に語っていた.前ボスはアルコールが入っている方が研究に関する話は興味深かったと思う.

私はベイジアン的なアプローチの限界を(計算機の力のみでは厳しいが)補完するものとして説得する情報技術があると考えていたが,こうした見方も無力かも知れない.Foggの有名な仕事であるWeb Credibilityの知見にしても,たとえば「現実世界で信頼できる連絡手段(住所や固定電話の番号など)が載っていて,ページのデザインもきれいでナビゲーションもよくできているがデタラメな情報ばかりのWebサイト」については無力であるし,今後現れかねない.意地悪く言えば,言葉遣いやら信頼できるサイトの手がかりの隅々にまで力を入れる「一流の詐欺師」の絶対数が少ないから成り立っているだけに過ぎない.さすがに「ルール化できた形式知ばかりを過信するな」とは予防の科学を標榜する立場からは言えないので,この問題に関わる研究者はまた別の有用なルールを淡々と模索するしかない.

_ 俺は軟派な人間なのか?

どうもFirefoxのAll-in-One Gestures Extension日本語版)は個人的には馴染みにくい.マウスジェスチャを覚えなくてはいけないのが厳しい.いったん覚えてしまえば大丈夫だと思うし,カスタマイズの強力さはさすがと思うのだが.やはりRadialContextが手離せない.強制リロードの操作がない(というか操作のカスタマイズができない)点以外はよくできている.

_ どうも体調がよろしくない

三鷹へ治療に向かうが院にたどり着くまでで疲れ切ってしまった.来月から近所の院に通えるよう申し出る.近所といっても大崎だが.まあここなら一ツ橋(JR神田経由)までの行き・戻りで寄ることもできるので.

今日はおとなしく自宅で作業.土日は働こう.また働くのか.

来週こそは某学会誌に論文投稿したい.ひとまず前ボスからチェック終了のメールが来る.

そういえば学部時代の恩師から借りっぱなしのものがあるので,返しに行きたいのだがタイミングをはかりかねている.今月末あたりは大丈夫か? 母校は3学期制でいまがちょうど試験期間くらいだと思われるので.

_ この手の研究のやり方:質問紙法

回答ありがとうございます.1点補足.確かに「萌え」は個人差がやたら大きそうな気がしなくもないのでたとえ(おそらく「萌え」は複数次元で構成されているでしょうから)構成要因を洗い出したとしても妥当性には疑問が出てくるかも知れないです.この点を前置きして,私がこの手の研究をするならおそらくそれなりの下調べをした上で質問紙調査から入ります.だいたいのプロセスはこんな感じ:

  1. 調査対象の方々の属性*1の妥当性を慎重に検討した上で無作為抽出.

  2. 質問項目を思いつくまま挙げていく.

  3. 思いついた質問項目をもとに質問紙を作成,予備調査.

  4. 予備調査のデータを因子分析などにかける.因子(構成要因)の抽出.先行研究の知見や結果によっては少々バイアスをかけることもあるが,基本的にここで次元の数が決まる.ここで各構成要因の妥当な説明ができる必要がある.また,各要因を説明していると思われない質問項目はここで切り捨てる.ここで本調査の質問紙ができる.

  5. 再び調査対象の方を無作為抽出して本調査.結果については各構成要因の信頼性を再調査法(同じ調査対象の方にある程度期間を置いてもう1度同じ質問に答えていただき,2つの回答の相関をみる)なりCronbachのαなりから検証する.

少なくともジェンダーと年齢は絞ってから考える必要がありそう……ってネタを真面目に考えてどうする.

ビープ音とメッセージの比較については,実験の条件をみる限りでは一応メッセージの言葉遣いまでは見ているようですね.やはり本論文にあたった方がよさそうなので,今度読んでみます.

*1 注意:あくまで一般的な意味の「属性」なので勘違いなき様.「○○属性」で選んだ日にはとんでもない偏りが出るであろう.


2004-06-19 (Sat) [長年日記]

_ オープンソースエバンジェリストの盲点・Mozilla編

もともとの議論についてはリンク集@羊堂本舗さんを参照.商用ソフトウェアだろうがオープンソースだろうが同じような問題にぶち当たるであろう,ということはITプロジェクトの実態とは!Mozillaの実態とは!とを見比べて推して知るべしといったところ.

私の場合は計算機科学の研究者という立場なので,たとえば後輩の学生などにはいい意味でも悪い意味でもできるだけ先端の技術に触れてもらうべくFirefoxの布教をするわけだ.さすがに一般の方々に薦められるような代物ではない*1が,触れた時の利点や問題点を通じて考えて欲しいことはいくらでもある.研究者コミュニティだったら,逆にこういった実験的な試みは許されるべき,というより大いに奨励されるべきことだろう.

それにしてもThunderbirdの普及率は少なくとも自分の周りでは意外に高いにもかかわらず,Firefoxの普及率が低いのは何とかならないものか.やはりインストールとアップグレードの手間が敷居を高くしていると思う.

*1 かといって特にWindowsの場合は,IEはできるだけ避けたいが代替の選択肢があるわけでもない.強いて挙げるならOperaやNetscapeだがどの程度のサポート体制ができるのかがまるでわからない状況なので.デフォルト状態の大量のボタンに面食らっていた院の後輩を見るとSleipnirなども薦めにくい.第一デフォルトではIEコンポーネントを使っていてIEを選択肢から外す理由がなくなるし,Gecko対応も最近実験的に始められたばかりだ.MacにしてもLinuxなどにしてもブラウザ選択では悩む必要はないが,OS自体の敷居が高いのが何よりの問題である.

_ ようやく尻尾はつかんだわけだが

某サーバで動かしているMediaWikiの不調の原因はPHPでもMySQLでもなかった.どこをどう見てもエラーらしきエラーを吐かないので何が原因かと思いきや mod_rewrite であった.これの設定がまずかったせいで然るべき変数の中身がPOSTで渡らなかったりしていたわけだ.

原因はわかったが対策はまだこれから.今夜も眠れない.


2004-06-20 (Sun) [長年日記]

_ やっぱり厄介なmod_rewrite

某サーバのMediaWikiセットアップの続き.本家の設定情報は今日の時点では半分程度しか役に立たない.

ひとまずURIの書き換えに関してはいまのところこういう設定.ただユーザ認証等ができない.またルートディレクトリには置いていないのでエラー表示のドキュメントやらrobots.txtの設定は省いている(使われ方を考えるとVirtual Hostの設定をした方がいいかも知れないが):

RewriteCond %{REQUEST_URI} !^/(stylesheets|images)/
RewriteCond %{REQUEST_URI} !^/(redirect|index).php
RewriteCond %{REQUEST_URI} !^/favicon.ico
RewriteCond %{QUERY_STRING} !action=
RewriteRule ^/(.*) /index.php/$1 [L]

どう考えても QUERY_STRING のマッチングを入れなくてはならないのは変.QUERY_STRING のマッチングをやるとなると,これ以外のほかのあらゆる変数を考慮しなくてはならなくなるので,MediaWikiの多機能ぶりを考えるとこんな簡単なルールで終わると思えない.ひとまずこのバータリー設定でページの読み書きは差し障りなく行けそうだが.

_ 買うには買ったがしばらく読めなさそう

昨夜も一ツ橋泊.夕方,神田三省堂にて『演技と演出』購入.目次だけざっと見てもインタフェース研究の視点からすると興味深い.


2004-06-21 (Mon) [長年日記]

_ 今日も暇なし

某学会誌に投稿する論文の最終チェックをいただく.今週中に出したい.

嵐の中すずかけ台へ.いつの間にやら向こうのM2がごっそりGREEに加入していた.どこぞのblogに「○年後には○○万人のSNSユーザが」などという将来予測が出ていた気がしたがまたもソース失念(最近こればっかり).まあその数年後になってもSNSへのお誘いはあれど使うことはなさそうだ.携帯電話は彼女なり配偶者なりができて「持て」と言われたら持つかも知れないが,SNSはそういう類のものでもないので.あなたは本当にSNSを研究対象にしている研究室のメンバーなんですか? とひとりツッコミしたくなるが.

明日の英語プレゼン(The Ecological Approach to Visual Perceptionのアフォーダンスの章の前半)の準備もあるので一ツ橋に戻ると,ようやく注文していたデスクトップPC(特盛,ただしケースはひと世代前の素っ気ないやつ)が届いていた.いまだOSで迷っているがどうしようか.ただしモニタや追加のメモリなどは安く上げるためにほかの店で注文しているので,もっと後になりそう.

_ 極端な話@携帯端末

旧来ツール派は携帯電話を使いこなせているか? 電話機能のない京ぽんならばあってもよいと思う,と最初に考えたが,どうも携帯端末宛のメールなるものは即時性が求められるようなのであまり持ちたくない.ただ自分のISPなり勤務先なりのメールアドレスだけ使えば回避できるかも知れないが.まあWebもメールもノートPCの方がつぶしがきくし,予定やアドレスの管理はPDAに任せればいいし,携帯電話のカメラよりもちゃんとデジカメ買った方がよさそうだし,と個人的に必要な機能を絞り込んだ結果,いっそのこと電車の乗換情報+運行障害情報検索専用携帯端末さえあればよいというところに収束してしまった.需要があるのは自分だけだと思うのだが.

いずれにせよ,携帯端末はあると便利だと思うのだが,特定他者に対する即時性を強く求められるメディアはいらない(彼女なり配偶者なりができて「持て」と言われたら持つかも知れないが,ってしつこい).だから携帯電話も持たないし,IMも使わない.それにしてもあなたは本当にカメラ付きGPS携帯電話を使った情報共有システムを研究対象にしている研究室のメンバーなんですか? とひとりツッコミしたくなるが,ってしつこい.


2004-06-22 (Tue) [長年日記]

_ 無題

英語プレゼン.アフォーダンスな話.最近これについて気になる話があるので,近いうちにまとめておきたいのだがあまり精神的に余裕がない.

昨日届いた特盛にFreeBSD 5.2.1をインストール.以前自宅のマシンに4.xをインストールしようとしてはまりまくっていたことがあるのだが,今回は実に快調にインストールが進む.しばらくこれをメインに使いたい.Linuxは今後も触る機会があるので,それで十分.

_ 無題その2

せっかくOSも変えるならデスクトップ環境も変えようということでGNOMEからKDEに移行する.ただKonquererは常用しなさそう.たぶんfirefoxが手離せないと思う.いずれにせよこんなにインストールがすんなりできるとは思わなかった.あとは個人のファイルを新マシンに移せば旧マシン aomi は引き払える.東京湾岸地名シリーズはそろそろネタが尽きかけているので湘南方面に行こうかとも思ったが,自分のハンドルネームで所内DNSに登録してしまっているのでこれをそのまま使うことに.そういえば現研究室の共用マシンは楽器の名前で命名しているようだ.

_ やる気だけ見せておく

ぱど厨関連のまとめページでも作ってみたいが,すでにある? なければ暇を見てやりたいが.

_ 「コンピュータの中の人」を科学する

  • Sundar, S. S. & Nass, C. (2000). Source Orientation in Human-Computer Interaction: Programmer, Networker, or Independent Social Actor? Communication Research, Vol. 27, No. 6, 683-703.

ちなみにこの研究の話は論文になる前にMedia Equationでも触れられている.

概要

コンピュータはメディアか,それともそれ自身が情報源か?

多くの研究ではコンピュータ越しの人間,たとえばプログラマやコミュニケーションの相手などが情報源であるのは当たり前で,目の前のコンピュータは単なるメディアとしてしか捉えていない.この論文ではこうしたユーザのコンピュータに対する見方をCAMモデルと呼んでいる.しかしそう捉えられる原因は,もともと誰が情報源なのかについてユーザは理解しているという前提をもとに考察が進められているからではないか,というのが著者らの見方である.

この研究では,従来のこのような情報源の見方に対し「コンピュータ自身が情報源である」というCASモデルを提案している.メディア 研究で有名な知見として,テレビでニュースを伝える際に実際の記事を書いている記者が存在するかも知れないのに,実際にはニュースを伝えるキャスターなどがその記事通りのことを考えて情報を発信しているのだ,と視聴者に捉えられてしまう現象がある(parasocial interaction).また,多くの研究においてコンピュータ自身に対して社会的ルールを適用してしまう現象の原因はユーザ側のコンピュータに対する何らかの認識の欠陥にある,と考えられていたが,これまでのSRCT研究の多くがその見方に疑問を投げかけてきたし,むしろコンピュータという未知なる相手に対して人間相手の社会的インタラクションというヒューリスティクスを用いていると考える方が自然ではないかと著者らはみている.

もしユーザがコンピュータとインタラクトしている間でもコンピュータ越しの人間を認識しているのであれば,コンピュータ越しの人間がいますよ,と強調してもしなくても同じ印象をもってユーザはコンピュータに接するはず.そこでコンピュータ越しの人間の存在を強調した場合と,そうでない場合とでどのようにコンピュータ,ないしコンピュータ越しの人間に対する印象が変わるかを著者らは実験で確かめた.

実験1

実験室には3台のマシンが用意された.SRCT研究ではおなじみの「無表情な」マシンであるNeXTStep 3.0搭載の黒いキューブ型のPC3台が用いられ,白黒の画面に文字と音声のみが出力された.うち1台は実験の教示用に用いられた.教示用マシンには音声は用いられなかった.残りのマシンのディスプレイには「コンピュータその1・その2」,または「プログラマその1・その2」とラベルが貼られ,コンピュータそのものとインタラクトする条件であること,またはコンピュータ越しにプログラマとインタラクトする条件であることが強調された.コンピュータとインタラクトする条件,またはコンピュータ越しにプログラマとインタラクトする条件のどちらかにアメリカの大学生の参加者30名はそれぞれランダムに15名ずつ割り振られた.また,参加者には謝礼として授業の単位を与えた.

参加者は「その1」のマシンでアメリカの慣習について学習した.次に,教示用マシンで学習した内容に微妙に関連する5択の問題が出題された.微妙に関連させることで参加者の知識に対する確信度を下げる意図がある.問題は5題出題され,回答後参加者は「その1」のマシンの前に戻った.「その1」のマシンは参加者の正解数に関係なく「よくできました」と参加者を褒めるメッセージを出力した.次に「その2」のマシンでも同様の手続きを踏んだが,最後だけ「その1」の場合と違い「出来がよくないですね」などと参加者を批判するメッセージを出力した.その後,「その1」「その2」それぞれのコンピュータ,ないしプログラマについての印象を評価するアンケートに参加者は回答した.

結果については「コンピュータ」と「プログラマ」のインタラクトする相手の違いを被験者間要因,参加者を褒めるコンピュータないしプログラマ,批判するコンピュータないしプログラマを被験者内要因として2×2の混合計画とし,最後のアンケートの結果を先行研究に基づき「友好的(Friendly)」「(教示方法などが)効果的(Effective)」「陽気な(Playful)」「教育法の類似度(Style Similarity)」の4つの変数にまとめた.教育法の類似度はa)教え方 b)褒め方・批判のし方が普段自分が他人にものを教えたり,褒めたり批判したりする方法とどれだけ似ているかという2つの質問の平均値を用いた.まず,参加者は褒めるコンピュータないしプログラマの方を批判する方より統計的に有意に好んだので,実験の設定はうまくいったと考えられる.さらに,コンピュータそのものとしてインタラクトした参加者の方が,コンピュータを介してプログラマとインタラクトした参加者よりもコンピュータ(プログラマ)を「友好的」「効果的」「陽気」「教育法が類似している」と評価した.また,参加者を褒めるコンピュータないしプログラマの方が批判するコンピュータないしプログラマよりも「友好的」「効果的」「陽気」「教育法が類似している」と評価されたが,この2要因間にいずれの変数においても相互作用はみられなかった.

実験2

同様の実験をアメリカの大学生22名の参加者を対象に行ったが,次のように実験の手続きを変えた:

  • 実験1の結果は「コンピュータ越しの人間がプログラマだったから」という理由で結果に差が出たかも知れない.もっとユーザにとって身近な存在であったら結果に変化は出ない可能性もある.そこで,プログラマの代わりに「ネットワーク越しの先生(Tutor)」をコンピュータ越しの人間として仮定し,参加者にはネットワーク越しの先生と対話していると教示した.マシンのディスプレイのラベルも「プログラマ」から「先生」に変更した.

  • 実験1において,コンピュータやプログラマがユーザを褒めたり批判したりした結果はコンピュータかプログラマかというインタラクトした相手の違いに影響を与えなかった.このため,最後のコンピュータ,ないし先生による参加者の評価は回答がどうあれ単に「5問中3問正解です」とだけ伝えるようにし,参加者の出来の善し悪しについてはフィードバックを与えなかった.

  • マシンは実験1と同様3台用意されたが,「その1」のマシンの評価を聞いた後で参加者はアンケートに答え,「その2」のマシンとのインタラクションは行わずに実験を終えた.これは実験1と条件をそろえるために行った.

実験の結果,「友好的」「陽気」の2つについては統計的に有意にコンピュータ相手の方が先生相手よりもよい評価が参加者によりなされた.「効果的」についてもコンピュータ相手の方が先生相手よりもよい評価をされる統計的に有意な傾向があったものの,「教育法の類似性」についてはインタラクトする相手による差はみられなかった.

考察

以上の結果は,ユーザが無自覚的にコンピュータそのものを相手にインタラクトしている可能性を示唆するものである.ユーザは,コンピュータそのものを相手にインタラクトする方がコンピュータ越しの人間相手にインタラクトするよりも自然に感じられると判断した.もちろん,すべてのケースにおいてユーザがコンピュータそのものをインタラクションの相手とみなしているわけではないが,特にコンピュータはこれまでのテレビなどのメディアと違い,ユーザと双方向的に対話できる点がコンピュータそのものを情報源とみなす傾向を強めていると考えられる.

今後の研究では,ユーザにとって何がコンピュータそのものを情報源とみなす要因となるか,また逆に何がコンピュータを単なる媒体とみなす要因となるかについて追求することが望まれる.

「中の人」はなぜ現れる?

「中の人」の意味については中の人などいない!の歴史などを参照されたい.ここで「中の人」への言及があるシチュエーションを考えると,だいたい普段と違うはたらきをするモノ(場合によっては人間)に対して「中の人」のせいにされることが多い.最近では似たような例としてマモノ(参考)もいる.人とモノの間で自然なインタラクション(インタラクションでない場面もあるが……)ができる間は「中の人」もマモノも現れないのであって,何か普段と違うな,と思ったところで初めて「中の人」やらマモノやらが現れて普段と違う原因を押しつけて合理化されるのである.

そういうわけでこれを執筆中の時点で記録的な猛暑なのも自分が肉体的にも精神的にも調子が悪いのはマモノのせいなので.嘘.

「中の人」が意識されない場面

逆に「中の人」が意識されない,自然なインタラクションのある場面について考えてみる.たとえば一連の山下大輔監督スレッドについては「中の人」が誰かに関係なくユーザと「山下監督」との間で対話が進んでしまっている.前述のマモノ関連のスレッドでも同様の現象が起きている.これについては,いわゆる「空気が読めている」AA使いの存在と,AAのもつ身体性がユーザとAAとの自然なインタラクションを支えているのではないかと個人的にはみているが検証が必要.擬人化インタフェースのコンテキストで捉えてもなかなか興味深い現象だと思われるがどうだろうか.

BibTeX Entry

@article{sundar:source,
author    = "S. Shyam Sundar and Clifford Nass",
title     = "Source Orientation in Human-Computer Interaction: Programmer, Networker, or Independent Social Actor?",
journal   = "Communication Research",
volume    = 27,
number    = 6,
pages     = "683--703",
year      = 2000}

2004-06-23 (Wed) [長年日記]

_ 環境を変えるなら徹底的に変えてしまう

ということで長年使い慣れたbashに別れを告げzshを使い始めてみる.ほとんどの機能を使いこなせない気がするが.

基本的なツール一式はすんなり入ったし,Emacs周りの環境も整いつつある.日本語関係(IMはAnthy)とWanderlustとmigemoとEmacs-w3mとNavi2chあたりが動けばほかは不要だろう.これだけマシンパワーがあるとEmacsは全然重く感じない.いずれにせよエディタはGvimメインにする.だがfirefoxをportで入れようとしてもどうもうまくいかない.日本語TrueTypeフォント関係も扱えているか不安.

一ツ橋のとある先生から新たに仕事が降ってくるかも知れない.いろいろ調べておかねば.

やはりこの前の設定ではまずい.Special:(日本語では特別:)なページが表示できないため,カテゴリ一覧が表示できなかったりWeb経由でのアカウント作成ができなかったりする.問い合わせ先がいまひとつわからないので,何とかこねくり回さねば.

こうして明日のミーティングの準備もままならぬまま1日は過ぎてしまった.明日はどういう小ネタでつなげばよいか.

反応を返したい方々が何人かおられるのだが,しばらく余裕がなさ過ぎるので保留.

_ 「メニューは右」に関する考察

あらきさんの日誌にてご紹介いただく.

「メニューは右」の話については渡邊さんがとりあげられる以前にも,確かWebユーザビリティの有名どころの本に「サイト内のナビゲーションは右にあった方がよい」という指針を述べているものがあった気がする(→発見.『ユニバーサルHTML/XHTML』のp. 63にテーブルレイアウトを使わざるを得ない場合について,コンテンツを先に,ナビゲーションを後に書くべきという意味で「メニューは右」にした方がよい,という説明をしている).ただ,この本での理由はHTMLファイルレベルで処理する場合のページのコンテンツとナビゲーションの位置関係の問題に帰着させていたような気がする.これは以前書いたようにスタイルシートで対処すべき問題であって,HTMLファイル(文書の構造の記述)レベルではコンテンツは前,ナビゲーションは後ろというのが大原則である.

さて,あらきさんには申し訳ないのですが問題は果たして「メニューは右」で本当によいのか? という点にある.たとえば左利きの方がここのような右にメニューのあるページを利用される場合,実は負担になってしまっているのかも知れないと思うことがある.ある機能が画面の右に置かれる理由の大半は右利きのユーザを念頭に置いてのことのような気がする.先述の渡邊さんのお話にしても,横に置くメリットは強調されているし私も同意するのだが,右に置くメリットはそれほど強調されていないように読める.スクロールバーにしても右にあるのはやはり右利きのユーザを前提としたためではなかろうか.ほかの理由もありそうだが,Emacs等はスクロールバーを左に置けたりもするし,そのようなアプリケーションだとデフォルトが左だったりすることもあるのでほかの理由が思い当たらない.個人のデスクトップならともかく,Webサイトとなるとこういった問題の対策として下手なパーソナライゼーションはできないししたくもないし,ユーザにもおすすめしにくい.この件について何かご存知の方,ご意見のある方は遠慮なくツッコミをいただければと思います.

_ titleタグの中身について:サイトのタイトルが先か,ページのタイトルが先か

これも最近気になること.私は神崎さんの本の指摘を読んで以来,ページのタイトルが先に来るべきとずっと思っていた.たとえばブラウザの履歴で各ページを見た際に,titleタグの後半の中身は省略されて見えなくなるのでページのタイトルを前に書いてサイトのタイトルは優先順位は下がるので後ろに書いた方がよい,というお話であったはず.しかし,これがGoogleであるページが検索でヒットした場合という状況を考えると,ページの中身は情報要求としてユーザの中である程度予測はついているし検索語を含む箇所は検索結果にも現れるので,むしろサイトのタイトルを前に出すことで,たとえば「個人がWeb日記ないしblogで個人の考えなりメモなりとして書いたもの」なり「ある組織なり権威なりのお墨付きのある,それなりに内容の保証されたもの」なりをはっきりさせた方がよいと思われる.ページのタイトルは結構慎重に考えないとページの内容との食い違いがあることも多く,ページの内容の再認には使えそうだがページの内容を端的に述べたものとしての精度はよくない気がする.

_ あのシステムは健在のご様子

那須先生のpersonal memorandum(2004-06-21)より.「特殊なファイル転送方式」とは,あのWebページ作成実習ヘルパーを泣かせ続けてきたあの方式のことだろうか.まあMTとは直接関係ないのだが.MTが問題になるのはCGIなりPHPなりが使えるかどうかだけだと思われるので.あまりシステムの具体的な話はここに書くとさすがにまずそうだが,この程度ならよいだろう.MTだと2.x系ならばともかくとして,ほかの先生方も使いたいという話になると3.0ではライセンスの問題が出てくるので気になる.その他の選択肢から選ぶ手もある.Blosxom系のツールはあのシステムだとかえってややこしくなりそうなので,本来の要求を考えると完全にWeb上のサービスで可能なツールの方が無難に思える.

こういう現場でうっかりMTの3.0を導入してしまって,あとで困るケースは今後出てきそうな気がする.2.661ならいいかも知れないが.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 渡邊恵太 [おっしゃるとおりです.右側にあるのは,自分が「右利きだから」というのが主な理由です.左利きであれば,左にあっていいと..]

_ 左利き [私自身、左手でマウスを使用している左利きですが、左側にメニューがあるべきだとは思いません。 その理由は、マウスを操作..]


2004-06-24 (Thu) [長年日記]

_ 正直言ってかなり微妙な気もするrei harakamiのYMOトリビュート参加

rei harakami online経由.Technodelicの中の曲あたりなら無難な出来になりそうだが,正直微妙だ.いい意味で裏切りを期待したいが.最近聴いていないがKEN nISHIIも同様.この手のトリビュートはそこそこベクトルの違うアーティストの方が期待できる.

_ Normanはアフォーダンスを誤解していたのか?

最初に断っておくが,私はこの議論の発端となっていると思われる『ギブソン心理学の核心』には現時点ではまだ目を通していない.あくまで現時点では,Web上の議論とNormanがアフォーダンスを紹介した『誰のためのデザイン?』(野島訳版),およびNormanによるアフォーダンスの解説をもとに考察する.このため,サーベイ不足等による誤解もありえますが,その点に関する指摘は歓迎します.

まずGibsonによる「オリジナル」の定義(『生態学的視覚論』の原書)にはこうある:

The affordances of the environment are what it offers the animal, what it provides or furnishes, either for good or ill.

この定義を読む限り,Gibsonも生活体が環境からピックアップした情報は生活体にとって益にも害にもなりうる,という点に関しては言及しており,アフォーダンスそのものに価値判断は含まれないが,生活体がピックアップした情報がもたらす結果を見越しながらアフォーダンスの概念を定義していることがわかる.

さて,これを踏まえてNormanの定義をみよう.これはWebページの解説から:

real affordances

Gibsonが定義した本来の意味のアフォーダンス.

perceived affordances

real affordancesのうち,ヒトにより環境からピックアップされた一部.

Normanが認めるように,『誰のためのデザイン?(The Psychology of Everyday Things)』ではこのようなアフォーダンスの語の使い分けをせず,perceived affordancesも含めて"affordances"と呼んでしまったがために,アフォーダンスに対する誤解が広まってしまった.だが,このことは必ずしもNormanがアフォーダンスの概念そのものを誤解していたということにはつながらないのではないか.少なくともNormanはGibsonが定義したアフォーダンスに関する理解は(いくらか反論の余地を残しながらも)あったと考えられる.むしろ,Normanが生活体と環境の相互依存構造の中のアフォーダンスの概念に付け加える形で,生活体が環境からピックアップした情報をいかに理解するかという認知プロセスまで,うまく整理をつけないまま広く言及してしまったことが,アフォーダンスに関する誤解を世間に広める要因となってしまったのではないだろうか.

いずれにせよ,もともとアフォーダンスそのものが誤解されやすい概念であることが誤解が広まる要因になっていることに変わりはないし,その誤解の原因をNormanにばかり求めることについても異論がある.確かにNormanにも概念をうまく説明できなかったという点では非難を免れないし,Norman本人も自らの非を認めている.また,ヒトの認知に深く踏み込んだ「日常生活の心理学」の確立なくして現在の人工物のデザインの発展はなかったであろう.アフォーダンスに対する誤解が解決されるべき問題だとするならば,Gibsonの概念をうまく噛み砕けずに説明している者全員の問題として捉えられるべきである.

なぜ件のNorman批判を未読のままこれを書いたかと言えば,私自身アフォーダンスの概念を理解できたのはNormanがきっかけであったから.なぜ「アフォーダンスを付け加える」とか「良いアフォーダンスのデザインを心がけよう」とかいうアフォーダンスの用法が誤りだと私は判断できるのに,Normanを通じてアフォーダンスを学んだ方々がこのような誤解をしている,という批判があることを知り,なぜNormanがそこまで非難されるのかが納得できなかったためにあえて現在手元で頼れる情報源をもとに書いたまでである.

誤りのご指摘・ご意見・ご感想・ご提案など,コメントなりTrackBackなりで受け付けますのでどうぞ.以下,今回の議論のソース.各位に感謝いたします.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 渡邊恵太 [ノーマンのアフォーダンスは誤解があると思います.しかし,だからといって本流のアフォーダンスをインタフェースに応用しよ..]


2004-06-25 (Fri) [長年日記]

_ Webクリッピングツール群雄割拠

WeBoX(←ichan::Weblog).RSSリーダと言っても本質は欲しい情報・新しい情報・手元に置きたい情報を可能な限りシンプルに扱いたい,という点にあるように思える.だからといって比較対象とは言いづらいのだがglucoseあたりと使い比べてみて検討したいところ.また所属研究室への背信行為か? WebクリッピングといえばMyClipについてはクリップしたページを公開・情報共有したいという意図もあるので存在価値が失われることはないと思う.

_ 「メニューは右」のまとめ

コメントご紹介ありがとうございます.

Webページのデザインとユーザビリティについて私の知る限りで最も整理されているSteve Krugのサイトナビゲーションの分類(括弧内はKrugの用語)をもとに,ここまでの話を整理しましょう.

サイト全体を表すもの(サイトID)

これは(左から右へ文を読む文化圏ならば)左上に置く,という見方は揺るぎないだろう.さらに,トップページへのリンクも付けておくとよい.

サイト内の大まかな分類(セクション)

そこそこの規模のサイトであればAmazonAppleのようにページ上にタブの形でナビゲーションを入れるのが無難かも知れない.下手に3ペインにするとメインのコンテンツが目立たなくなる可能性もあるので.

さらに細かい分類(ローカルナビゲーション*1

今回メニューは左か右か,で議論していたのはここの問題であると問題提起した私自身としては考えている.利き手の要因はそれなりにあるかも知れないが,それほど深刻に考えるほどのことでもないのかも知れない.たださんのご指摘通り,整形済みテキストがページの右側にかかる場合を考えると右側にこの手のナビゲーションは置きづらい.改行の入れられるものはうまく改行を入れてみるくらいしか手がない.エラーメッセージなどはかえって改行を入れるとそれはそれで混乱するケースもありそうで,そうなると打つ手もあまりない.インラインフレームを使うという手もあるが,それなりにブラウザを選ぶのとフレーム内の文書のファイルの管理に手間がかかるので注意が必要.

これ以外のナビゲーションについてもKrugは触れていますが,今回の議論のまとめとは離れるのでひとまずこれにて.

*1 これは不正確.ローカルナビゲーションとは,あるページにおける同じセクションの他のページへのリンク,などのナビゲーションの機能を担っている部分を指す.

_ タイトルを変える.Normanのアフォーダンスの解釈は誤解と呼べるのか?

もうひとつコメント感謝です.確かにエコロジカルな視点が欠けている,という点ではNormanのアフォーダンスの解釈に不満が残るかも知れませんし,むしろこのエコロジカルな視点こそがGibsonの考えの本質にあるのならば,それもひとつの考え方です.

件の本を読まないことにはこれ以上Normanの解釈の問題点に踏み込めないのでひとまずここまでにするが,やはりこの手の議論も「分野の衝突」の一例なのではないかと個人的には考えている.Normanを含め,ヒトの認知のモデルを考える側の研究者にとっては,認知のレイヤーで捉えられるアフォーダンスはperceived affordancesがメインになってしまう.real affordancesから何をピックアップするのかというエコロジカルな問題は,また違う視点から眺める必要があるだろう.認知のモデルからの視点からでは捉えにくいのではないか.

「分野の衝突」の解決策は,まず何よりメタな視点からのそれぞれの言い分の整理にあるというのが私個人の見方.当事者同士の言い争いだけでは何も生み出さないので,複数の陪審員的な存在が必要になる.そこにはどちらがいい,悪いという価値判断は存在しない.いずれにせよ,生態心理学側の人間が強調したいこと,そして強調すべきことは渡邊さんのご指摘の通りだと個人的には思います.


2004-06-26 (Sat) [長年日記]

_ ベイジアンフィルタリング敗れたり

ポルノスターはHTMLとCSSの夢を見るか? HTMLメールでもっていかにもフィルタリングに引っかかりそうな語なり情報なりは画像で,逆にいかにもフィルタリングに引っかからなさそうな語をテキストに入れることで見事にフィルタリングをすり抜けてしまったジャンクメールのお話.確かに「いやあ,おじさん一本取られちゃったよ」と思うところも大いにあるが,「一流の詐欺師」はそもそもスパミングなんぞを商売の手段にはしないと思う.

_ 続・「メニューは右」に関する考察

反応多謝.さて,「慣れ」が理由で右にメニューがあるのを キモチワルイ という印象をもたれておられますが,個人的にはこのような違和感について,インタフェースの設計において(ペルソナとしてユーザ像を捉えるなら)問題のあるインタフェースの十分な根拠になりうると考えております.デファクトスタンダードに則らずにいきなり新たなものを突きつけられても困るので.

しかし,サイドバーって言うのは本で言うところの"目次" という考え方には,Webページに限っていえば強く反論します.本とWebページは違う! この一言に尽きるわけです.たとえば検索エンジンからダイレクトにあるページに訪れたユーザにとってはユーザの情報要求に適うコンテンツの方が先に提示された方がありがたいはずで,サイトのナビゲーションは二の次.そこからさらに情報を得たい時のための手段に過ぎない,というのが私の考えです.コンテンツの粒度としてはWebサイト単位ではなくWebページ単位で考えるのが前提でしょう.

なお,あくまで上の話は計算機上でのコンテンツ配置の一般論として述べたまでで,「メニューは右」の根拠のひとつではありますが,だからといってこの根拠をもって「左メニュー」に対する優位性を主張するつもりはありませんので.

私もMozilla以来Webブラウザのサイドバーは左に出していたが,やっぱり右に変えよう.firefoxでもできるようなので.

_ まだ終わらない新マシンのセットアップ

firefoxは無事FreeBSD 5.2.1にportでインストールできたのだが[Tools]→[Options]が出てこない.すべて about:config でいじれ,という話なのだろうか.また,どうもKDEは調子がよろしくないのでGNOMEに戻す.なぜKDEだと8ビットカラーしか出ないのか.

モニタやらノートPCやらはまだか.

研究室の面々がD中間発表(お疲れ様です)やら研究会資料作成やらで追われている中,ひとりこのような作業というのも何ともだが.とっとと研究を始めたい.

_ メモ:期日前投票はじめました

不在者投票と違い,内封筒と外封筒に入れて外封筒に署名,という面倒なことをしなくてもよいらしい.いくら内封筒と外封筒に分けてあるとはいえプライバシー的にどうなのよ,とあれはいつも思っていたのだが,それがなくなったのはごくごくわずかながら選挙制度の進歩であろう.本当にごくごくわずかなのだが.投票用紙に鉛筆書きというのも納得がいかない.当日の投票ならともかく,期日前投票や不在者投票となるといつ消しゴムで消され,書き換えがなされてもおかしくないので.だからといって電子投票も海の向こうでもすでに挙動の怪しい代物が出てきているらしいので懐疑的.投票のインタフェースの問題は実に深刻である.

以前から思うのだが,マスコミは白票をもっと大々的に扱うべきだ.あれこそ政治に対する失望の現れのひとつと考えているので.日本棄権党を気取るくらいなら「政治にそれなりに関心はあるがお前ら全員議員失格」の意思表示のため白票を投じに投票所に出向くべき,と思ったがまだまだ考えが甘いか?

_ 折り紙でつくるCDケース

各所で話題のJorma Oksanen's Origami(おそらく発掘元/.J).さすがフィンランド.だから何だ,という話でもあるのだが.この前FreeBSDのインストールCDを2枚焼いた時に不織布な袋もなかったので余り紙でケースを作って大いに助かった.

松永さんが折り紙CDケース用デザインのPDFを公開されている.紙の再利用の観点からすると余り紙で作るのがポリシーなようにも思えるので,私はあえてこのポリシーを忠実に守るつもり……だがAA入りなデザインのものが配布されていたらありがたく頂戴して使ってしまうかも知れない.

_ TeX使いの皆様,\math??使ってますか?

昨日,初めて「TeXで書くと数式の中のイタリックの文字の隙間が醜いけど,どうしたらいい?」というご相談があった.『[改訂第3版]LaTeX2e美文書作成入門』の91ページにもある,よくある注意の話であった.diffというxの関数を書く時,$diff(x)$と書くと d×i×f×f(x) とTeXは解釈してしまうので,$\mathit{diff}(x)$と書いて「diffは1語」と認識させる必要がある*1

数学や物理などではこの手の記号の記法について侃々諤々の議論があるのでこの記号の使い方についてもセンシティヴになると門外漢の私はみている*2のだが,これが計算機科学になるとかなりいい加減になる.数学や物理に近い分野であればおそらくそれなりに注意が払われると思われるのでまだいいだろう.だが,私の身近で言えば人工知能や自然言語処理などでは,もし私が「数式の文字間隔が醜い」と突っ込んだところで「わかればいい」と無視されそうなのであえて直接言わず,こういう場にこっそり書いておくわけだ(私の修論の研究をご存知の方には,こうする理由がわかりますね?).あるいは文字間隔の醜さには気がついているが言語化していないだけかも知れないが.いずれにせよ,machine-readableな記号の扱いに細心の注意を払うべき分野の研究者が,こういう場面ではごくいい加減に記号を扱うのは個人的には納得がいかない……などと言うと「そういうお前もここはなってないだろ」というツッコミが来そうだが.気を引き締めねば.

*1 ちなみにオールドタイプの方は \it{diff} と書くかも知れないが,すでに古い仕様となっていてこの場合だとLaTeXで処理中に \mathit に読み替えてから処理するようになっている.なぜこのような指摘をするかというと,たとえば本文と数式とでフォントが食い違うような設定になっている場合,「同じ \it なのになぜ違う出力になるのだ」ということになりかねないから.海外の論文や国際会議のプロシーディングスだと,デフォルトで times パッケージしか読み込んでいない出来の悪いクラスファイルないしパッケージのせいで本文はTimes,数式はComputer Modernになっている場合がたまにある.
ちなみに私は来週は国際会議のプロシーディングスに載せる原稿書きに追われるが,国際会議の場合は大概カメラレディな原稿,つまりPSないしPDFファイルの提出が求められることが多い.timesmathptmxの両パッケージの組み合わせだと,たまにうまく動かないことがある(今回もそう)ので代わりに txfonts パッケージを読ませてしのごうと考えている.カメラレディ原稿であればこの程度なら許されるであろう.

*2 そういえば代数学の先生で \langle\rangle を使うべきところを <> で済ませてしまっていた方がおられた.私が突っ込みを入れても「この書き方でも許されるから別に構わない」と突っぱねられてしまった.やはり一概に皆が気を遣っているかというとそうでもないわけだ.

_ 今日の雑学:triviaの語源の逆遠近法的解釈の試み

ふと学部時代の科学史の講義の話を思い出したので,「トリビア」の語源を探ってみる(本当はOEDなどにあたらないとダメだろうが).ざっとぐぐると,どうやらもともとは「三叉路」の意であったようだが三叉路そのものが重要でない道であるという説*1やら三叉路が「つまらない」教養科目三科の意に転じたという説やらがある.どうもピンと来ないのでさらに英語でもぐぐってみると三叉路はもともと人が出会い井戸端会議をする場だったから,という説があるが誤りで,やはり教養科目三科が由来*2,とある.中世の大学は教養として自由七科(liberal arts)があり,前半三科(trivium,文法・修辞・論理)と後半四科(quadrivium,算術・幾何・音楽・天文)に分かれ,前半三科を基礎として後半四科を学ぶ形式をとっていた(参考).音楽も天文も当時は神の造りし自然に潜む調和の構造として捉えられており,学生の嗜みなどというものではなかったという点に注意.

ここで気になったのは,前半三科のぱっと見の印象から受けるいかにもつまらなさそうな知識というニュアンスが現代のtriviaの意味として生き残った,という解釈である.この見方が妥当なのだろう.私は当時の大学人からすると「そんな常識をいちいち言葉にするのは無粋」というニュアンスがあったような気がしていて,このような調べ物をしようとするに至った.単に同時代の人間に視点を合わせて解釈しようと試みたまでだが.まあこの解釈も「つまらなさそう」というニュアンスと矛盾するわけでもないか.

*1 少なくともこの説は誤りであろう.もともとローマのあたりはキリスト教の影響からか意図的に十字路を作るのを避け,道が交差するところにはロータリーを設けるようにしていた(はず,記憶不確か)ため,必然的に三叉路がそこかしこに現れるはず.

*2 実は単にぐぐっただけではこのページにはたどりつけなかった."trivia etymology"で探したが,そもそも語源の知識自体がトリビアという概念で扱われてしまう代物ゆえ,うまく探すことができないのである.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ まつながひであき [whiteは裏紙に印刷してもOKですー<CD Case]

_ まつながひであき [あと、サイドバー右には同意見です。 最初に読んでほしいのは本文だから。]


2004-06-27 (Sun) [長年日記]

_ 「メニューは右」に関する考察,ひとまずまとめ

たださん(おめでとうございます)のExplorerのサイドバーと日記やblogのサイドバーは一緒に論じるのはまずいという点には確かに同意です.

いままでの各所の反応をちょっと整理.こうなるのではと考えている:

「メニューが左」の利点
  • メニューが左に寄るので,ある情報の全体の構造が目立ち,その構造をざっと理解した上でその情報の一部をピックアップできる.Webサイトではいい例が思いつかないが,たとえば尺の長いプレゼンのスライドでアウトラインを見せながら,という場合はアウトラインは左に置いた方がよい気がする.

  • 多くのインタフェースは左にメニューを置くため,ユーザが「メニューが左」に慣れていることがある.

「メニューが右」の利点
  • コンテンツが左側に寄るので,コンテンツ本体を目立たせることができる.

  • 画面上のカーソルの「ホームポジション」が画面右にある場合が多く,カーソルの移動量を減らすことができる.カーソルの「ホームポジション」が右に来るのは,おそらくスクロールバーが右にあることが多いからではと考えている.利き手があまり影響しないのはスクロールバーの位置のせいなのかも知れない.

もちろん,「左から右へ書く言語」の文化圏では,という前提がある.「左にメニューを置くインタフェースが多い」「スクロールバーが右にあることが多い」の根拠はWindowsのデフォルトがそうなっているから,と差し当たりしておく.明確な裏付けが必要だろう.

blogのサイドバーの位置については,簡単な統計をとった方がおられる

_ tDiary2.0リリース

そのうちアップグレード.それほど手間はかからないと思うがしばらく余裕がない.

_ そろそろ仕事だ

国際会議の準備やらすずかけ台から降ってきたバイトやら一ツ橋のバイトの残りを今月中に何とかやらで時間がない.急がねば.

_ firefox立て直し

Windows版はうかつにExtensionを入れまくるとこんなメッセージを吐いて起動でこける上にExtensionが入らなくなってしまう.私はもうこの手順では手遅れだったので,結局プロファイルを作り直してしまった.Extensionを1個入れるごとにブラウザ再起動をかけた方がよさそう.

さっそくuserChrome.cssをいじって右サイドバーにしてみる.最初はやはり戸惑ったが1日も経たずしてもう慣れてしまった.もう少し時間がかかると思ったが.これはいい.Moz2chの板一覧も右側に来るので便利.

CharamelのページにはThemeManagerにテーマのjarファイルをドラッグ&ドロップするように,とあるが必ずしもそれができる環境ばかりとは限らない.その場合はCharamel 1.0.5であれば

javascript:void(InstallTrigger.installChrome(InstallTrigger.SKIN,
'http://members.shaw.ca/lucx/charamel-browser-105.jar','Charamel 1.0.5'))

とアドレスバーに1行で打ち込めばインストールできる.Thunderbirdだと同じ手は使えなさそうなのでどうすればよいかわからないが.

PRGooglebarも入れてみる.気がついたらすでにこのページのPageRankも5になっている.

_ 確かに裏が白紙だったら行けますね

コメントありがとうございます.裏紙再利用の際にありがたく使わせていただきます.


2004-06-28 (Mon) [長年日記]

_ 反応したい話はたまりつつあるが

なにせ時間がない.

当面本気で仕事の処理に追われるので1日1ネタで.書評も書きたいのだが.といろいろ考えているうちにFreeBSDの体当たりセットアップで今日も1日が過ぎる.研究所内では明らかに空いていてもよさそうなポートまで閉じてくれているおかげでCVSすら使えないし80番以外のHTTPのアクセスもできない.

止まっていたアンテナ立て直し.RSSのあるサイトはやはりRNAをセットアップしてそちらに移行しようかと検討中.自前環境でまかないたいのとクライアントベースのRSSリーダがしばらくどれを使うか流動的なので.

_ 「メニューは右」に関する考察,余談

思ったより反響が大きく恐縮しております.

ちなみに私の研究室のblog持ちな方々(私以外全員MT使い)でサイドバーの位置の統計をとると3対3といい勝負.ちなみに現研究室では私は唯一のtDiary使いにしてRuby使いでもある.


2004-06-29 (Tue) [長年日記]

_ グループの相互作用による創発,とは幻想なのか

「グループダイナミクスは信用しない」(←グルインの限界).プロモーションゆえの文面だからだろうか,あまりにうまくいき過ぎている例とあまりに下手過ぎる例の両極端を提示している気がしてならない.院に進んでまもなく『合議の知を求めて』を読んで以来,私はたとえ自己主張に長けたアメリカの人々であってもface-to-faceの環境においては集団の極性化の影響から抜け出すのは極めて困難だと理解し,この手のグループの相互作用による創発に対する根拠なき期待に懐疑的になった.アメリカでさえフォーカスグループインタビューがどの程度うまくいくかについては大きな疑問が残る.発言のルールで制約をかけたりモデレータがうまく仕切ったりすればそれなりの効果はあるだろうが,そううまくいくものでもなかろう.インタフェース研究においてもグループの相互作用が起こす問題点はもっと意識されてよい.別にこの分野に限った話ではないが,あまりに多くの場面でグループにおける他者の影響について無頓着過ぎる.

関係ないが無根拠なグループの相互作用による創発の期待,というと山本先生の相方だった頃の小島先生のこの発言を思い出す:

1+1は2じゃねぇ,俺達は1+1で200だ! 10倍だ!

_ フォロー多謝

triviaの語源の件で松永さんが詳細にフォローされている.さすが.やはり「三つの道」という語源は揺るぎないと思われるが文字通り三つの道(三叉路)がほのめかすもの,そして「三つの道」から派生した自由七科のうちの三科のポジションから由来するものという2つの説が並立しているようだ.私は中世大学でtriviumとquadriviumの間に制度的なギャップはあったとしても学問の内容的にそれほど厳然としたギャップがあったようには思えないので,後者の語源の検討にはやや物足りなさがなくはないというのがこの前の私の見解だった.ひとまずこの件はここまで.

_ 仕事がまた降ってくる,のか?

いったん立ち消えになったと思われた秋から某所でのバイトの仕事の話が再び持ち上がる.まだどうなるかわからないが.できるなら是非話に乗りたい.

目の前の仕事に専念せねば.


2004-06-30 (Wed) [長年日記]

_ 何も書かないのも何なので告知だけ

ようやくFreeBSD上から更新できる.uimとAnthyをportsで入れ直したらあっさり動くようになった.

それはそうと告知.明後日の研究会,たぶん裏方仕事やってます.国際会議のカメラレディがそれなりに片付いていればの話ですが.

追記:当日は所用あってどうあがいても遅れてしまうことにいま気がついた.


(注)このページの内容は無保証です. ページ内の情報の利用は各自の責任にてお願いします. 記述の間違い等の指摘やフォローも歓迎しますのでコメントをどうぞ.

2002|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|11|
2011|07|12|
2012|02|
トップ 最新 追記

リンクは御自由に

SUZUKI Satoshi V.