朝の授業が休講のため自宅で雑用を済ませ正午頃にすずかけ台入り.
ここのところ突発的に体調を崩すことが多く困る. ある日は歯痛だったりある日は胃痛だったりまたある日は偏頭痛だったりと 日によって症状が変わったりするのも非常にたちが悪い.
雑用.
今日買った本を見て触発され,Frutiger系のサンセリフ体のフォントを探す.本家FrutigerはType1もTrueTypeも 商用なのでそう簡単に手が出ない. せめてLaTeXで使えれば,とは思う.何かないだろうか. しかしFrutiger系のフォントは欧文のみで使うならいいのだが, 和文と混ぜて使う場合は平成角ゴシックや中ゴシックBBBあたりの ゴシック体と相性がいいのがどちらかというとHelveticaのような 気がしなくもないので難しいところではある. 案外和田研ゴシックのようなのだとFrutigerと合うかも知れないが, いかんせん和田研ゴシックは文字のバランスがよろしくないのが難点である.
すずかけ台で購入:
木村浩『情報デザイン入門』ちくま新書,2002.
実はかなり昔に筑波大にある著者の研究室を訪問したことがある.
いまでもまだ狙っているのだが(今度は海外に出たい),
デザイン系の院に進むという選択肢を持っていた時に
最初に話を伺ったのがこの先生だった.
フォント関係の話をいろいろ頂いて印象に残っている.
それはそうと本の話なのだが,専門分野に近いところの話はともかくとして
話題が多方面に飛び過ぎてしまっていてわかりづらい.
この内容だったらもう少しきちんとリサーチをして
単行本レベルまで内容を膨らませてもよかったと思うし,
また,新書に収めたければ思い切って先生の専門に近いところの話を
もう少し一般論から切り込んでもよかったのではないかと思う.
具体的には,3章→2章の順で1章の歴史的な話は必要に応じて
間に差し挟むとか,そういうまとめ方の方が読みやすかった.
ここで3章→2章の順と言ったのは,新書という体裁上,
読者を一般人と想定した上での話だが,
あくまで主役は情報の受け取る側であって,
情報を受け取る側に対して「わかりやすい」ように情報の発信者が
どのように工夫するか,ということを解き明かしていく形が
よいのではないか,という判断のためである.
さらにいまひとつ言及するならば,
情報デザインのところでメタファの利用にこだわっている
(171--172ページ)のだが,やはり広義での「サイバースペース」は
いくらか現実世界と勝手が違うわけで,その差異をいかに利用して
現実世界を拡張していくかこそが情報デザインの目指す方向ではないかと
思うわけである.デスクトップメタファの限界は10年以上も
前からTed Nelsonらが指摘しているし,シンセサイザーのような電子楽器に
既存の楽器音が使われるのは楽器をデザインする側の問題の方が大きい.
そうでなかったらMini MoogやArp Odysseyのようなシンセサイザーが
あれだけ価値あるものになっている理由がわからない.
「サイバースペース」の自由度はあらゆる場面で現実世界を凌駕する.
現実世界を「サイバースペース」で限りなく精巧に模倣しても
どこかで必ず破綻するのは目に見えているのだから,
逆に「サイバースペース」でのみ可能なことを現実世界に
還元するようなアプローチの方が重要であろう.
フォントやサインあたりの話はまた時間のある時に読みたい.
水・木と研究室合宿@修善寺,土曜は来年以降のテーマのヒント探しもかねて冬のシンポジウム@大岡山に参加予定. 合宿前までに実験の細かい手順まで詰め切れていないと今後が非常に苦しくなる. 日曜のSIGLAL@青学青山も場合によっては参加の可能性がある.とにかくいまの研究より来年のことを考えるのにひたすら忙しい.
経営学板ウォーカー.この辺は情報系の院生も 参考になるものがあると思う.コンピュータ関連書籍なら2ch Booksが使える. あとYF Computer Bookshelfもあるが,こちらは本の中身より 売れ筋に重きが置かれている点があるところと, 何よりWebサイトのユーザビリティにやや難があるので 最近はあまり参考にしなくなりつつある.
一ツ橋で調べ物を少しした後,今日は趣を変えて神保町から三田線で巣鴨へ出て, 山手線で池袋へ.いつもは竹橋から地下鉄を乗り継いで出るのだが. あとはひたすらジュンク堂で本を探すが特にこれといったものはなかった. ひとまず今回のネタについてはほかの方々もある程度は手をつけているが, 実験的検証がまだ十分にできていないという点でかろうじて新規性はあると言える, という程度に過ぎないのかも知れない.まあこの時期の路線変更なので 完成度よりも期日までに修論が仕上がるかの方が重要なのだが.
ひとまずこれでBrowser→Firefox,Mail→Thunderbirdと並んでMozilla Composerも独り立ちできた,という見方でよいのか? いずれにせよWebページ作成についてはちょっとしたものならVimでいじるし大掛かりになりそうならCMSのセッティングをするし,というのが最近の傾向なのでこの手のオーサリングツールを使う機会がなかなかない.HTMLはからっきしわからないがWebページを急ぎで書きたい,ないし書かねばならない人がいたら薦めようかと思うわけだが.
最近数ヶ月ぶりに一ツ橋居室の机に散乱していた書類の山を整理したので,棚からひとつかみで消化しようと試みたのだが,やはり人間側のモデルについて考えていない,ないし考えていたとしても根拠の怪しいものばかりで興味深い論文がなかなか見つからない.もうひとつ気になるのは,社会的インタラクションの絡むHRIの研究は,実はPC上の身体化エージェントで置き換えようと思えばできてしまいそうでロボットを使う必要性が見出せないことが多い.どうも見栄えというか努力の差のせいでロボットの研究と本質は変わらないにもかかわらず身体化エージェントの研究は分が悪い.何とかせねば.
ひとまず脳科学の勉強用,そしてHack用にRandomNoteをノートPCにセットアップ.
RandomNoteで思い出したが,だいぶ昔の道具眼コラムにあった 言葉というものは定義ではなく用例から学習するものである、という認知科学的学習理論
の出典は何なのだろうか.これに限らず道具眼は研究関係のいいヒントにはなるもののリソースが示されていないものがいくつかあり,気になる.いずれにせよ,これがRandomNoteのインタフェースが用語や第二言語の学習に使えそう,という根拠になるわけだ.
斎藤 兆史.2003.日本人に一番合った英語学習法:先人たちに学ぶ「四〇〇年の知恵」.祥伝社.
斎藤 兆史.2003.英語達人塾:極めるための独習法指南.中公新書1701,中央公論新社.
前者はずいぶん前に注目していたのだが,ようやく入手して即日読破した.後者は数ヶ月前に読み込んでいた.実は斎藤氏の別の著作も読んでから感想をまとめようと思ったが,どうせどれを読んでも同じオチがつくだろうと踏んだのでこの辺で個人的見解を書く.
以下の点についてはほぼ同意:
コミュニケーション重視,文法軽視の最近の英語教育の風潮には疑問
母語もおぼつかないうちから英語教育を始めるのはおかしい
英語学習においては日本人には日本人の方法がある
英語学習の基本は素読・暗唱・文法・多読だ
この辺は妥当といえば妥当.ただ,次の問題を抱えている:
文法は重視するのは当然としても,文法さえわかれば文章が読めると思ったらこれも間違い.たとえば 英語に対して得意意識を持っていながらシェイクスピアの英語がまったく理解できないとしたら、それは間違った英語を身につけているということだ。
(『日本人に一番合った英語学習法』)と主張しているが,理解できない原因が一概に英文法に対する知識不足と決めつけられるのだろうか? ここでシェイクスピアの(妥当な)日本語訳を読んだとしてもわからないというのであれば文章の背景知識の不足であろう.日本語で理解できないものが英語で理解できるわけがない.また,実際に人は文章の背景知識も手がかりにして文章読解を行っているとされている(Kintsch, W. (1998). Comprehension: A Paradigm for Cognition. Cambridge University Press.)し,これは言語に依存した問題ではないだろう.こうした「文法さえわかれば」という見方も,コミュニケーション重視の見方とは別の問題を抱えている.牧野先生の喩えでいえば 計算機科学の理論だけを教えれば、リテラシーは勝手にできるようになる
どころかこれでは教えられている計算機科学の理論相当の知識さえ不十分に思える.
さらにいまひとつ指摘しておきたいのは,斎藤氏の著作にて学習者のモデルとしてとり上げている例が江戸--戦後まもなく頃のごく古いものしかない上,その学習者のほとんどは非凡なる成果を残してきた人々であって非凡な人間の学習法はごくわずかな非凡な人間しか真似できない,ということである.我々のようないまの時代に生きる凡人にとって,確かに大枠についてはほぼ時代に関わらず学ぶべきものはあるだろうが,その大枠の中身については個々の事情に合わせて工夫すればよいのではないか.「リターンは少なくてもよいからそれなりに英語が扱えるようになりたい」と考えている人も多数いるわけだし,そうした学習者を切り捨てるのは現実的とは思えない.
関連して,英語学習の基本の大枠については同意なのだが,各大枠をみると語学としての英語というより英文学を学ぶ方向に強くバイアスがかかっている.前述の牧野先生も紹介されていた『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』の紹介文についても,英語やフランス語の文学作品を読みこなし日本語に翻訳するスキル自体は立派なものだが,そういったスキルがあらゆる英語やフランス語の語学の頂点と主張するのはいかがなものか.それぞれの分野においてはそれぞれ必要な英語のスキルがあるわけで,アカデミックイングリッシュを読み解くのであれば文法的知識はもちろんのことここでは何度も紹介しているセンテンスの間,パラグラフの間のロジックにも注目する必要がある.
まとめると,英語教育の現状に対する問題意識については同意するが,その解決策としての斎藤氏の主張は単に英語教育の方法論を昔に巻き戻せと言っているに過ぎない.学部時代から英語教育のコミュニティにも爪先ほどではあるものの関わりがあるのだが,現場の方々の中にはもちろん教員として職についてから英語教育に関する知識のアップデートをしない人々もいるが,日本人には日本人なりの学習のしかたがあると考えた上で試行錯誤されている方々もおられるし,前述のKintschのような文章読解に関する認知科学的アプローチから得られた知見から,第二言語の学習法の模索を行っている方々もおられる.こうした知見が無視された主張は,単にコミュニケーション重視派から拒絶反応を起こされるだけのように思えるのだが.
@book{saito03-learning-en-for-ja,
author = "斎藤 兆史",
yomi = "Yoshifumi Saito",
title = "日本人に一番合った英語学習法:先人たちに学ぶ「四〇〇年の知恵」",
address = "東京",
publisher = "祥伝社",
year = 2003}
@book{saito03--en-expert,
author = "斎藤 兆史",
yomi = "Yoshifumi Saito",
title = "英語達人塾:極めるための独習法指南",
series = "中公新書 1701",
address = "東京",
publisher = "中央公論新社",
year = 2003}
一ツ橋で肉体労働.肉体労働の合間にこの前の研究の概念整理のやり直し.何をどう定義すれば無難にまとめられるかは見えてきた気がするが,既存の研究の穴埋めレベルにしかならないように思える.それだけ考えが浅かったから仕方がない.まあこのおかげでこのシリーズの次の実験の設定のしかたが見えてきたわけだが,いろいろ面倒なファクターが絡むので慎重かつ大胆に参りましょう,でいかなくては時間や人的リソースの制約もあって難しい.
宮島麻美,伊藤良浩,渡邊琢美.2005.バックグラウンドコミュニケーションをベースとした新しい見守りサービス.電子情報通信学会論文誌,Vol.J88-DI, No.12, pp.1785–1794.
という論文が気になった.『温かいコミュニケーション:「つながり感通信」の誕生』の続編で,かなり示唆に富んだ内容.とにかく書きたいことが山ほど出てくるが,これも余裕を見て後で.
D論の論点整理も兼ねて,すずかけ台の特別講義で早稲田の三輪先生の影システムに関する一連のお話を聴く.
影システムの特徴としては「没入型(に近い)VRシステム」「匿名性と身体性を兼ね備えたアバタ」といったものが挙げられるだろう.場の共有が重要だ,という話を強調されていたが,私だったら「相手に何が伝わり,何が伝わらないと思われるかを踏まえてデザインすることが重要だ」と考える.何もかも伝わればいい,ということではないだろう.たとえばFtFのように何でもありの環境にはいいこともあれば悪いこともあるわけで,コミュニケーションに制約のかかった場ではFtFと比べて何がよくなるのか,を考えることも必要だろう.ここで挙げられていた例の中では影システムを介した剣道の指導の話があるのだが,FtFの場面より動きに集中して人の動きを見ることができたそうだ(あくまでエピソードレベルの話だが).このような制約の視点から眺めるといろいろ使えそうな状況が思いつく.
個人的にD論に向けて宿題として出ているのだが,「なぜこのシステムやアバタのようにユーザ自身の身体を仮想空間に明示的に位置づけるアプローチをとらないのか」という疑問に答える必要がある.私がいま用意しようとしている答えは,佐伯先生の用語で言うところの「第一接面」と「第二接面」の乖離がアバタなどによる仮想空間内での位置づけでは起こりがちになる,というものだ.実は9月に倉敷のワークショップで話したことでもあるのだが,その時はD論で問われる問題だと思っていなかったし,あまり深く考えられていなかったと思う.それはそうと本題に戻る.もちろん入力デバイスを変えたり没入型ディスプレイにしたり,というハードウェアの工夫次第でどうにでもなる問題ではあるのだが,手近なPCの入出力デバイスとエージェントの身体表現・視覚表現だけで仮想空間内にユーザの身体の位置づけがある程度可能ならばそれに越したことはないだろう,というスタンスでまとめたいわけである.まだ考えが十分まとまらないが,ひとまず当たりがつけられたのでもう少し調べ物をしつつ考えたい.
Twitterにまとめた記録を残しておく.注釈とリンクを加えておいた.
アイデアはいくつかある.
- 最も簡単な案はポジションペーパー(HAI研究に関係しそうな分野,関連研究の図式化と自分の研究の位置づけ,など)を共有して議論するような機会を設けること.これだけでも随分違うだろう.
- 少し手の込んだ方法を考えれば,実際にタスク(○○のためのエージェントを設計・評価する)と役割分担(コンセプトを考える,プロトタイプを作る,評価の方法を考える)の方法を決めて,グループで作業する手法も可能だろう.これは以前国際会議のワークショップで体験した方法をほぼ踏襲したものだが.
いずれにせよ,パネル中心にするよりこういう方法を考えて欲しい.
HCI分野ならHCIがトップジャーナル.HAI本では「HAIはHCIと異なる分野だから」と断っているが,HCIに限らずアウェイで,厳しい場で結果を出して欲しい.それでこそHAIという研究テーマのプレゼンスが上がるのだが.
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